アドラーは、次のようなエピソードを残しています。人は、意味づけした世界に生きていることが良くわかります。

「アドラーの晩年に秘書を務めたユヴリン・フェルドマンは、アドラーが亡くなった時にアドラーがかけていた眼鏡をもらえないかと妻のライサに頼んだ。なぜ眼鏡がほしいのかとライサからたずねられて「アドラーが見たように人生を見たいのです」と答えた。」(『アドラーを読む』)

認知は、その人固有の個人的で独自のものです。言ってみれば、その人特有の色眼鏡のようなものです。時には、自分が眼鏡をかけていることを忘れてしまうように、その人の無意識に染みついたものです。これをアドラー心理学では、「私的論理」と呼びます。


色眼鏡(私的論理)は、時には共通感覚で矯正が必要である

私的論理を持つこと自体には問題はありませんが、私的論理が、非建設的な方向に働くと人間関係で摩擦が生じますので要注意です。これをアドラー心理学では、「ベーシック・ミステイクス(基本的な誤り)」と呼びます。

我々は、知らぬ間にベーシック・ミステイクスに陥りやすいものです。したがって、共同体にとって有益であり建設的な意味づけのパターン(アドラー心理学では、共通感覚〔コモンセンス〕と呼びます)を持っていなければなりません。

所属している仲間の中で共通感覚(コモンセンス)を共有化することが、後述する共同体感覚につながります。

認知論(主観主義)と相反する捉え方は客観主義です。客観主義では、字のごとくある事象を客観的に見ます。しかし、アドラーは、人が事実をありのままに客観的に把握することは、不可能とする立場をとります。


 

※本記事は、2020年2月刊行の書籍『もし、アドラーが「しゅうかつ」をしたら』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。