「ちょっと待ってください」

坂崎はまず登山道の地図を蛍光ペンで塗りつぶしたものを見て、さらに確認のため警察署に電話した。家族は筑紫に、左衛門小屋の事を聞いているようだった。

「連絡取れました。最初の日に陸自が確認したそうです」

そう話したが、その時、母親だけが納得できない顔をしていた。不信感というのか、疑うような視線を坂崎は感じた。翌朝、捜索四日目土曜日。

坂崎は若い署員三人を連れて、レストハウスの駐車場にいた。約束の時間より三十分ほど早く、遭難者の家族は到着した。

当初の予定では、遭難者のコース「火口→青田岳→虎岳→追分」、そして、立ち入り禁止区域ではなく、竹谷温泉コースの予定だった。しかし、母親が強く左衛門小屋をもう一度確認してほしいと希望した。坂崎はすぐに山岳捜索隊と相談した。

しかし、一日で行けるのは今日の予定コースか、または左衛門小屋かのどちらかだという。さらに山岳捜索隊としては、他に二隊用意し、沢や雪渓に行く予定があった。

「今日の行程では、追分から竹谷温泉に抜けるコースか。またはそれをあきらめて、鬼塚をスタートして、左衛門小屋に行って同じコースを戻るか、どちらかしか無理です」

四人家族のうち、父親・兄二人は常道の遭難者のコースから竹谷温泉へのコースを希望した。母親だけが左衛門小屋を主張したので、多数決で当初の予定通り、レストハウス・火口から出発して青田岳・虎岳・追分・そして竹谷温泉に抜けるコースとなり、八時には出発した。

坂崎は三隊と連絡を取りながら待機することになり、両親はしばらく山岳捜索隊の結城隊長と話していた。おそらく来週の一斉訓練の話をしているのだろう。

まだ、決定ではないが、もしもこのままみつからなければ、訓練を兼ねた一斉捜索に切り替えることも大きな可能性として選択肢にあった。

しばらく結城隊長と話していた両親が挨拶に来た。駒草の展望台や、さらに降りたところで一番電波がいい、遭難者の車がある毘紐天で待っているという。

確かに駒草は電波が悪い。しかし、車があるのは鬼塚だが。

昼過ぎ毘紐天にいるという車が、やはりない。鬼塚まで降りると、父親の車があった。

「すいません。ここって、鬼塚なんですね」

「そう……ですが」

「火曜日の夜に緑警察署に届けを出した時、登山計画書にある「毘紐天」の駐車場に車があった、と言われたんです。それから、ずっとここを毘紐天と信じ込んでいました」