「病院に着くと救急治療室に運ばれ、担当医から『時間の問題です、至急ご家族に連絡して下さい』と」

病室には呆然と立っている長男健太と母の手を握っている次女悠子の姿があった。突然、悠子は悲しみを押さえきれずに、

「なんで、お母さんが先なの。お父さんを残して……」

と泣き出し、母潤子の目を覚まさせるように大きく体を揺すっていた。

伊佐治

増田伊佐治は警察官だった父親から、将来は自分と同じ道を歩むよう厳しく育てられていた。

当時、盛んだった学生運動に参加することなど絶対許されず、付き合う友人からアルバイト先まで、すべて父の許可が必要だった。

口答えや言い訳の一つでも言おうものなら、理由もなくゲンコツでなぐられた。父に反抗してなのか、女性に関心がないからなのか、少しも結婚の気配を感じさせない伊佐治にしびれを切らせた父は、突然、見合い話を持ってきた。伊佐治が三十八歳の時だった。

見合いと言っても形だけで、父の中では結婚式の日取りや招待客も既に決まっていた。見合いの相手は指原潤子二十八歳で三人姉妹の末っ子だった。

知的で着物が似合う上品な女性だった。幼い頃から体が弱かったことが原因で結婚が遅れたとも聞かされていた。

力仕事は代われても、「男子厨房に入らず」と、父から厳しく育てられた伊佐治はインスタントラーメンにお湯を入れることぐらいしかできなかった。

さすがに、電子レンジで温める位はできるだろうと言われたこともあったが、電子レンジの操作や設定方法がわからなかった。結婚を機に、家事を手伝うよう頼まれても無理な相談だった。

「伊佐治はどうなのだ。潤子さんからは是非にと返事を貰っているのだが」

強い口調の父に、伊佐治は珍しく即答を避けていた。初めて会う潤子は申し分のない女性だった。体が弱いといっても日常生活にはなんら支障がなく、家庭的で明るい性格は伊佐治にはもったいないぐらいだった。

なにせ、あの父が認めたぐらいの人だから問題があるはずがなかった。

しかし、伊佐治は自分の何処を気に入ってくれたのか直接聞いてみたかった。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『さまようピンちゃん』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。