私は、これらの経験から「環境」という言葉も概念も、科学的である以前にきわめて人間的、政治的なものであることを認識するようになりました。その思いを深く掘り下げるきっかけとなったのが、フェリックス・ガタリ著による「3つのエコロジー」(1991年 原題 Les Trois Ecologies)という本です。フェリックス・ガタリは1980年代後半から90年代前半くらいまでのニューアカデミズム世代にはおなじみのフランス人哲学者です。(肩書は精神科分析家としているようですが、著述のフィールドから哲学者と呼んでも良いと思います)

「3つのエコロジー」では、「環境エコロジー」、「(社会的諸関係に関わる)社会的エコロジー」、「(人間的主観性に関わる)精神的エコロジー」の3つのエコロジー的な作用領域があり、(ガタリはそれに、エコロジーとフィロソフィーを掛け合わせ「エコゾフィー」と命名しています)、それらの倫理、政治的な結合だけが、科学技術による地球の激烈な変容の問題にそれ相応の照明を当てることができる、と述べています。ガタリは、COP3より前の1992年に死去していて、「3つのエコロジー」の内容も1989年の講演会原稿をもとにしているので、私が「環境」を意識するよりもかなり前に、「環境」についての私の疑問に答えを出していたことになります。

「自然・地球環境」の問題は科学的な現実であり政治的に扱うべきではないという主張があります。明快で強さのある主張ですが、それ自体に政治的な性質が結びついています。社会の人間関係や社会的構造に関する社会的エコロジーは環境エコロジーと無関係ではありませんが混同しては解決の道は遠ざかります(既得権者保護のために「環境問題」を「利用」するなど)。

SNSやWebニュースによる主観形成がもたらす新しい精神的エコロジーの健全性を担保してゆく方策について意識的になる必要が出てきます。

2020年以降、台風などの異常気象をはじめとする環境の問題に直面する場面から、日本全体として逃れることができなくなってくることでしょう。その時、環境問題とは、ガタリが主張するように「3つのエコロジー」の倫理、政治的な節合により解きほぐされるものである、と明確に位置付けていく必要があるのです。

ガタリの3つのエコロジー
ガタリは3つのエコロジーを直接的に定義していない。著作をもとに多 少強引になるが著者が整理した。「環境」を最優先の価値に置く「環境活動」が問題を解決できないのは、環境と人間の問題はセットでなければ解決できないためであることがわかる。
※本記事は、2020年10月刊行の書籍『intelligence3.0』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。