その書面には、F看護師が、抗生剤とヘパリンナトリウム生理食塩水の入った注射器を持参してAの病室に行き、まず、抗生剤の点滴を始め、その終了後に使用するヘパリンナトリウム生理食塩水入りの注射器を床頭台の上に置いた後病室を出、その後、抗生剤の点滴終了を知らせるナースコールがあって、看護師が病室に行き、床頭台の上に置いてあったヘパリンナトリウム生理食塩水を使用してヘパロックし、病室を出たが、その直後、F看護師がAの病室に行くと、Aは「気分が悪い。胸が熱い感じがする」と異常を訴えたので、当直医のE医師が呼ばれ、対応措置が取られたが、Aは眼球が上転し、右上下肢・顔面が茶褐色に変色して行ったこと、この間、F看護師が注射器を準備した処置室に行ったところ、処置室の流し台の上にあるはずのない「ヘパリン生食」と書いた注射器があるのを発見し、Aの病室の前の廊下で、E医師に「もしかしたら、ヒビグルとヘパ生を間違えて床頭台に置いたかもしれない」と打ち明けたことなどが記載されていた。

看護副科長の報告を聞いているうち、会議は重苦しい雰囲気になってきた。

看護副科長の報告が終わった後、過誤を犯したという当事者から話を聞く必要があるということで、F看護師が呼ばれた。F看護師は、看護副科長が説明したと同じ様な事実経過を涙声になりながらも説明し、改めて「ヒビグルとヘパ生を間違えたかも知れない。それしか考えられない」ということを言っており、現場で回収した点滴チューブや注射器等を使いながら、薬物取り違えを起こしたときの状況を説明した。

その後、Aの主治医であるD医師が呼ばれた。D医師は、「F看護師がヘパ生とヒビグルを間違えたかもしれないとE先生に報告したことは、私もE先生から聞きましたが、所見としては心筋梗塞の疑いがあります。病理解剖の承認を既に遺族から貰っています」などと口頭で説明した。

J副院長も、心電図は心筋梗塞と矛盾しないといった意見を述べた。その後、今後の対応について、前記の被告人以下9名が協議した。H事務局長は、「ミスは明確ですし、警察に届け出るべきでしょう」と言い、I医事課長もH事務局長の意見に同調していた。

他方、庶務課長は届出に消極的な意見を述べていた。

被告人は迷いに迷っており、「でもD先生は、心筋梗塞の疑いがあると言っているし」などと言って、優柔不断であったが、J副院長も「医師法の規定からしても、事故の疑いがあるのなら、届け出るべきでしょう」と言った。

被告人は、なお、「警察に届け出るということは、大変なことだよ」というふうに言っていたが、J副院長、H事務局長、I医事課長ばかりでなく、他の出席者も「やはり、仕方がないですね。警察に届けましょう」と口々に言い出したので、被告人も出席者全員に「警察に届け出をしましょう」と言って決断し、病院としては、Aの事故の件について、警察に届け出ることに決定した。

D医師は、対策会議に常時いたのではなく、出たり入ったりしていたが、警察に届け出るか否かについては、J副院長が医師法の話をしていたのを聞いており、警察への届出の必要があるのかなと思ったが、本件が看護師の絡んだ医療過誤であるので、個人的に届け出ようとは思わず、都立広尾病院としての対処、すなわち対策会議での院長である被告人以下の幹部による決定に委ねていた。
 

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『死体検案と届出義務 ~医師法第21条問題のすべて~』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。