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新年会

ここ何年か、私自身は10名を越えるようなグループでの旅とは縁が遠くなっています。

ただ、身近なところで同じような形態の旅を実践している面々がおり、その様子は私の耳にも入ってきています。彼等はその年毎に幹事を変え、1泊での温泉旅行を計画しています。

ごく最近では多少旅慣れた人物が中心になって計画はなしを進めているようですが、交通費や宿代など、費用を可能な限り切り詰めるのが前提のようです。

しかしながら、話を聞く限りでは、元々の基本旅費は低く抑えながらも、女性が接客してくれる店に支払う代金や、そこまで行くタクシーの運賃には糸目をつけないそうです。

宿は鬼怒川温泉に取りながら、夜には宇都宮までタクシーで行ったこともあったそうですから、「それなら最初から宇都宮に泊まればいいのに」と皮肉をこめて忠告した次第です。

そして信じられないことに、彼等は観光を全くしないことも稀ではありません。いくら温泉に入ったとして、付近の観光名所とか遺跡とか、あるいは由緒ある建物や場所、そういう所に一切立ち寄らないこともあるのです。

世界遺産とまではいいません。でも、せっかくその土地にでかけて行くのですから、集合写真の一枚も残せる、後々の想い出話になるようなこともしていいような気がします。

鬼怒川温泉なら龍王峡や日光に寄ってもいいし、石和温泉なら甲府まで足を延ばし、昇仙峡でも見物すればいいものを、彼等は個人個人で、パチンコをしたり馬券を買ったり、普段と変わらぬ行動パターンを取るのです。詰まるところ、旅とは非日常です。普段と違うことをするから、また違う味があり、刺激にもなる。

歩くだけでいいなら、私も渋谷や新宿で済ませます。けれども、山には森や花があり、渓流や、峠や頂上などからの眺望があります。だからこそ重たいカメラ機材を担ぎ、何時間もかけて歩いて行くわけです。それは体力的には大変な労苦ですが、それに取って代わる報酬があります。旅もそうではないでしょうか。

パチンコや競馬をし、飲んだくれて車窓からの景色もロクに見ない。何処も見物しなくても、温泉だけ入れて気のしれた同士で宴会ができればそれでいい。他人の趣味や嗜好、あるいはやり方にケチをつけるつもりはありませんが、私からすると至極もったいない気がします。