退職と第二の人生

退職前と退職後の生活はガラリと変わる。

人間は誰でも、男でも女でも、大人でも子供でも、急激な変化に対応することはむずかしい。少しずつ、だんだんと慣れるものである。退職後の現実は、昨日と今日の生活リズムの変化である。環境も変わる、精神の安定度も変わる。前もって心の準備をしても、準備と現実は違う。準備と予想は同時にできるが、現実と全て同じにはならない。

しかし、定年前の準備は大事である。変化を少しでも目の前の現実と、同化していく方向に近づける方が、精神と体の安定に役立つからである。定年退職、または引退のイベントは、一般には一生に一度だけである。大きな変化だ。環境、経済のサイクル、人間関係が激変し、自由な時間が渡される。社会人としての責任とは違い、自由な分だけ全責任を負うことになる。退職前にあった自由とは異なる。

退職後の生活を楽しいものにするには、工夫が必要だ。実際に自由な時間を手に入れて、やりたいと思ったことを始めたものの、初めは楽しくても、だんだん楽しい気持ちがしぼむことがある。

退職後は第二の人生だが、第三の人生がないとすると、後半の人生となる。後半にはすべきことがある。それはこの世を去るための準備だ。前半の人生では、退職後の生活に備えて働く。後半は、勝手気ままに過ごすのではなく、この世を去るための準備をしながら、自由に楽しく生きることだ。他人まかせにはできない準備である。

ある人は「ここまで来たから」と、今までの我慢の部分を放棄して、偏屈になったり、自分磨きから離れ、他人の気持ちに敏感でなくなったりする。「暴走老人」と呼ばれてしまうこともある。「あとは楽しく生きるだけ」と、残される人々の問題への関心が薄くなる。誰にも監視されず、評価されない状態で、自分のレベルを上げる努力を続けることは、なかなかむずかしい。後半の人生でこの部分を軽んじると、第二の人生は楽しくならない。

職業に就いている間は、意外に心の成長は遅く、同じ悩みをぐるぐると巡らせているものだ。心の成長は、世間のしがらみから解放された退職後に、大きく伸ばせる。「もう終わりに近づいている」と考えるのではなく、「これからやっと成長期に入る」という気構えで毎日生きる。

そうすると第二の人生が終わる頃、自分がその成長に救われるだろう。