そんな中。私は十八歳の時に交通事故に遭った。札幌から小樽に向かう高速道路。真夜中に流星が見たくて三人で車を走らせていると、私達の車はアイスバーンでスリップした車を避けようとして中央分離帯に激突した。助手席に座っていた私はひっくり返りバックミラーに頭から突っ込んだ。救急車で運ばれるが、その病院では治療を断られる。

「この怪我は当院では治せません」

次々と病院を当たるが、ことごとく断られる。

「絶対に鏡を見ないでください。札幌で一番の形成外科を紹介するのでそこの医師の指示に従ってください」

鏡を見ないでくださいって……。紹介された札幌一の形成外科の医師はこう言った。

「先ず私の話をよく聞いてください。いいですね。この怪我は必ず治ります。今は酷い状態ですが私の力で必ず治せます。だから安心してください。今から鏡を見てもらいます。必ず治りますから。いいですね」

鏡を見て私は言葉を失う。

洪水のように涙は止まらない。

心が抉られるようだった。

眼球が飛び出て、眉毛は吊り上がり、おでこは内部の肉まで見えてグチャグチャ。

終わったな……。

そう思いながらも頭に浮かぶのは仕事のこと。

「これじゃ、仕事行けないじゃん」生活が懸かっているのだ。

医者に止められたが、私は眼帯を付け、頭に包帯を巻き、帽子を被り、分厚く前髪を下ろし、仕事へ行った。接客業はしばらくできない。居酒屋の厨房で皿洗いだ。その医師の元で手術は五度に渡って行われ、うっすら跡が残る程度でほぼ元通りに完治した。

のちに、保険金が三千万円入った。その金は私が未成年だったため、親の元へ預けられた。その金は弟の大学費用や月三十万円の仕送りと、マンションのローン完済に当てられた。

そして両親は姿を消した。

私は保険金のことを弟には言わなかった。弟にとっては大事な両親だからだ。
 

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『破壊から再生へ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。