【人気記事】JALの機内で“ありがとう”という日本人はまずいない

山岡鉄舟

幕臣の勝海舟が官軍の西郷隆盛と会談して江戸城総攻撃を回避させた話は有名ですが、その前に西郷と直談判してお膳立てをしたのが山岡鉄舟なのです。教育熱心な父に武道や書道をたたき込まれ、慈愛に満ちた優しい母に育てられ、幸せな青年期を送っていました。

しかし15歳のときに相次いで両親が亡くなり5人の弟の面倒を見なければならなくなりました。彼はこの苦難も乗り越え、弟たちを旗本の家に養子に出し、兄としての役割を立派に果たしました。

それから千葉周作の道場に入門し剣の道を究めていきました。後に西郷隆盛の推薦で明治天皇の侍従として宮内省に出仕することになります。彼はまだ若さ一杯の明治天皇の教育者としてその役割を果たしました。

晩年刀に頼らない剣法「無刀流」の道場を開きました。刀に頼らず禅の教えを剣術に生かした「剣禅一如」の悟りを開きました。

1888年52歳で胃癌が悪化し最後のときを迎えましたが、そのとき皇居に向かって座禅を組みながら息を引き取ったと言われています。明治維新の激動期に徳川慶喜と明治天皇に「人間力」をもって仕えた偉大なる人物でした。

ココ・シャネル

本名は「ガブリエル・シャネル」で20世紀初頭からフランスを代表する超有名デザイナーとして活躍しましたが、敏腕の経営者でもありました。彼女は11歳のとき母親を亡くしたことにより一家離散を経験しました。

孤児院や修道院で育てられ決して幸せな幼少期ではなかったのです。ただその規律正しい修道院で白黒の美しさや縫製を学べました。

自由を愛するシャネルは今までの身を締め付けるコルセットや過度の装飾を排除して、シンプルで活動しやすいスーツを発表しました。それにより彼女のデザインは女性の社会進出に大きな影響を与えました。

婦人服のジャージー生地の導入や女性が社会進出するにふさわしい利便性やファッション性を両立した独特の作品を発表しました。そしてファッション業界で一躍時の人となりました。

しかし戦争が彼女の運命を翻弄します。シャネルは第二次世界大戦中のナチスによるフランス占領時代にドイツ外交官と交際し、ドイツ当局に協力的であったということで戦後の彼女はフランスで活動できない状況になりました。