その27軒衆ではない島出身の家庭は、やはり肩身の狭い思いをすることがあるように感じられた。当初は、島出身ではないよそ者がいじめの対象となっていた。

その子から話を聞き、また、加害者と名指しされた子や、その周辺の子からも話を聞いた。放課後、地域の開発センターまで足を運び、遊んでいる子らを呼び出して、長い時間を掛けて話をしたりもした。

そうこうしているうちに、今度はそのよそ者の子がいじめる側に回っていた。対象となったのは、27軒衆ではない家庭の子で、よそ者の子とは親友のように仲の良かった子だった。

それまでいじめを受けていた鬱憤うつぷんが溜まっていたのだろうか、今度はかなり長引き、陰湿化していった。私は加害者の中心となっているよそ者の子を強く指導し、制することができず、やはり話を聞くことに終始していた。

なかなか収拾がつかず、私が右往左往していると、いじめを受けている子は、歓迎会で私を腰掛け呼ばわりしたPTA会長の子だったのだが、そのPTA会長が自ら村の衆を集め、「自分のところの子がいじめを受けている」と話をした。

その席に私も立ち会ったのだが、決して加害者の子を責めたりはせず、「子ども同士にはありがちなこと」とし、「みんなに知ってほしかったのは、思い詰めて、海に身投げでもしたら困るので、見守ってほしい」と嘆願したのだった。

この姿勢には感服した。島文化の厳しさを身にしみて感じているだろう父親の態度、発する言葉に引き込まれていた。そして、そのかいあってのことと思われるが、ハッピーエンドではないにしても、いじめは収束へと向かっていった。

この時ほど「よそ者教師」の無力感を感じたことはなかった。

ただ、5年が経ち、離島する直前に、最初にいじめを受けていた、そして、加害者へと転じたよそ者の子の母親から、

「家では、話を聞いてもらって、とても感謝していたんですよ。」

とありがたい送別の言葉をいただき、救われた思いがしたことを忘れられないでいる。

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『教育現場の光と闇~学校も所詮〔白い巨塔〕~』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。