ふと傍らの父親を見ると人生の不条理を嘆くというより、生きる気力さえ無くしたような、何とも表現できない空虚な目がそこにあった。自分の無力さを完璧なまでに悟らせてくれた事件であった。

一九九四年、九年ぶりにバンコクの暗闇に身をおいた時、その目は時間の谷間を越えて忽然と、まるで亡霊のように私の脳裏に浮かんで来たのであった。

マンゴー雑感

十一月、十二月の気持ちよい季節を過ぎ、二月半ばの中国正月を過ぎるとバンコクに再びあの暑さが戻ってくる。マンゴーの季節である。熱帯の果物には確かに蠱惑こわく的な魅力がある。マンゴスチンは美味である。しかし、ドリアンの奥行きの深さにはかなわないという人もいる。

 

私はと言えば、マンゴーが大好きである。青い林檎にも似た緑のマンゴーもちょっとすっぱくて捨てがたいが、何と言っても完熟したマンゴーの旨さにはかなわないだろう。

マンゴーの本場インドでは五百もの種類があるという。タイにも一説には三百種類ぐらいあると聞くが、多分数十種類というのが関の山であろう。ナンクランワン、ナムドークマイ、及びオックロン等の名前は知っているものの、それ以外にどんなものがあるのか、無知の一言に尽きる。

試みにタイのマンゴー数十種を一カ所に全部並べて比較してみたらさぞかし面白いと思う。神は細部に宿りたもう。変わった名前のマンゴーがある。

プラーム・カーイ・ミア。意味は、バラモン僧が女房を身売りする(程美味である)という。ほんとかいな。西遊記で知られている唐の仏僧玄奘は、『大唐西域記』の中でマンゴーに触れており、マンゴーをインドから初めて外国に紹介した人とされている由である。

タイには既に四十度弱の蒸熱でマンゴーに付いているミバエ(フルーツ・フライ)を駆除する技術が移転されている。玄奘がインドでマンゴーを見聞きしてから約千三百年後に、タイのマンゴーが日本に輸出されるようになったことになる。

聞くところによると、マンゴーのフルーツ・フライ駆除技術を持つ国際協力機構(JICA)の専門家は、マンゴー等の果実の輸出を狙っている途上国から引く手あまたであるらしい。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『タイの微笑み、バリの祈り―⼀昔前のバンコク、少し前のバリ― ⽂庫改訂版』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。