第二章 抱きしめたい

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しばらく沈黙の時間が過ぎた。彼女が小型のステレオをセットして、モーツァルトを聴きましょうと言って横に座った。

音楽が流れ始めた。初めて聴く曲は、爽やかでとても大きな自然を感じたのは確かだ。彼女が熱心に、曲の説明をしてくれた。

これは、モーツァルトが作曲した第何番とか、バイオリン協奏曲とか初めて教えてもらって知った。でもその時は全く理解出来なかった。モーツァルトは、何と競争したのか、又背番号みたいに何番とか分からなかった。

それからかなりの年月が過ぎて、やっと少し意味を理解した。でもこれが、世間で言うクラシック音楽だと知った。ビートルズが唯一の音楽だと思っていた鉄平には知識が豊かになり誇らしかった。

でも、黙ってクラシック音楽を聴いている時間は鉄平には長かった。結局二時間ほど過ごしたので帰ろうと思っていた。

山岸が、突然鉄平の顔を見た。

「滝沢君、教えてくれる?」

「何を?」

「ビートルズの曲で何が一番好きなの?」

鉄平は、しばらく考えてから彼女を見て言った。

「抱きしめたい」

「え! 私ですか? 今、ここで?」

少しはにかんだように見えた。

「ううん、僕がビートルズで一番好きな曲名」

「なんだ、そんな曲名があるのですか……残念」

二人は顔を見合わせて笑った。鉄平は、これ以上二人だけでいると本当に抱きしめたくなると思った。

「今日は楽しかった。有難う」

「もう帰るの? もう少し話しましょうよ」

彼女は残念そうに口を尖らせた。

「うん、でも又来るね」

「私、途中まで送って行きます」

お母さんに、お礼を言って二人で家を出た。家を出たところに、同じ中学校の男子生徒が大きなスイカをぶら下げて立っていた。

「明日香、久しぶり」

彼は、黙って僕の顔をじっと見ていた。

「勉君も元気? 今日は何か用事なの?」

「お母さんが、田舎からスイカを送ってきたので、明日香の家に一つ持っていってと頼まれた」

「何時も有難う、お母さんは家にいます」

彼は頷いて、僕を横目で見ながら玄関に入って行った。

「こんにちは、勉です」

「勉君。どうぞ入って、先ほどお母さんから電話があったよ」

お母さんの声が聞こえた。

彼は「はい」と返事をして家の中へ入って行った。鉄平はしばらく黙って様子を見ていた。

「彼は確かサッカー部の木田君だよね」

「そうよ、私のいとこなの」

「そうなの。よく来るの?」

「家が近いのでよく来るよ。小さいときは、一緒にお風呂に入って遊んだよ」

笑って懐かしそうに言った。

二人は、自転車を押して並んで歩いた。神社の鳥居の横まで来ると、彼女が僕の帽子をじっと見ていた。

「その帽子を私に被らせて」

山岸は鉄平の返事も聞かず帽子を取って被った。

「いいでしょう。似合っている?」

自転車を押して先に歩き出した。セミロングの髪に、野球帽を被った彼女の後ろ姿が特別可愛かった。参道が少し広くなっている木陰に、丸太を二つに割った様な造形のベンチがあった。彼女が先に座り、「ここに、ここに」と手で自分の横をぽんぽんと二回叩いた。

僕は小学校以来、女の子の真横に座るのは教室以外では無かった。それも、こんなに近く座るのは初めてだ。胸の鼓動が早くなって、のどが渇いた。二人は、黙って初めての時間を楽しんだ。

※本記事は、2019年11月刊行の書籍『爽快隔世遺伝』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。