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真相­―ヤメ検が暴く

丹前は、平成一五年四月から二年間、奈良地検に勤務した。

一年目は、比較的平穏だった。だが二年目は次から次へと大きな事件が起きた。県警本部が入る、いわゆる二課事件の贈収賄事件などから一課事件の殺人、強盗殺人など。

自宅は、兵庫県の明石市。奈良市内に官舎を借りて、週末には家族のもとに帰るという、半分単身赴任の生活をしていた。しかし、二年目はこの週末もつぶれてしまうような忙しい日々だった。

この二年間を通して自分なりに納得できる事件処理ができたと思っていた。検事は、警察にハッパをかけるようにして事件を拡げることもある。

しかし、それで検事が事件関係者から逆恨みされることはないはずだ。しばらく、その奇妙な電話のことが気になっていた。相手の男が開所して間もない丹前の法律事務所の電話番号を知ったのは、タウンページかホームページを見てのことと思われた。

とすれば、奇妙な電話の主はこちらの事務所の所在地も当然、把握しているはず。男が事務所の場所を探して直接やってくる可能性だってあるのではないか。

奈良時代に処理した事件で、自分では人から恨まれるようなものはないと思っていても、こちらが見当もつかないような形で逆恨みされることだってある。そう思うと、人はいろいろと考えるものだ。

事務所が入っているビルは十五階。丹前はその八階の一室を借りていた。エレベーターは入居者専用の出入口と五階の共有フロアにつながる一般用の出入口にそれぞれあった。

専用の出入口から入るには、入居者が携帯するキーでロック解除しなければならない。一般用は、外部者も共有フロアまでは自由に行けるが、そこから当事務所に行くには、専用エレベータに乗り換える必要がある。

その専用エレベータを利用するには、途中にロックがかかったドアがあり、それを解除しないと出入りできない仕組みになっていた。セキュリティーはしっかりしているのだ。

外部の不審者がそう簡単にはビル内には入って来られないはずだ。丹前は、事務所にする物件探しをしていたとき、この点も決め手の一つにしたのであった。

しかし、これとて決して万全ではないことは丹前がよく知っていた。名古屋地検時代に経験した事件のことを思い出す。鹿島銀行名古屋支店長殺し事件だ。

当時、鹿島銀行名古屋支店長だった小俣耕一郎が支店長社宅として使用していたマンションの最上階一室で、朝方、けん銃で射殺された。支店長は頭部の眉間辺りに銃弾一発を受けて即死。プロの仕業によるものと思われる見事なものだった。