原作のお世話になる他のメディアよりもリアリティーが大切なものだ。難しいことだけど、原作をそのまま映画化することを拒否する勇気が必要だ。原作をそのまま尊重しすぎないようにしないといけない。とは言え、プロデューサーはいじり過ぎて壊してしまうことにも気を付けないといけないんだ」

ジーンは兵役に就いていた頃「オン・ザ・タウン」を観て、ぜひ映画化したいとフリードに電話をかけた過去があった。自分より年の若いロビンズらの活躍には刺激を受けたに違いない。

羨望や嫉妬も感じただろう。かねてからダンスを主体にした新しい時代のミュージカルを作りたいと願っていたジーンにとって、どうしても実現したい作品だった。

だが新しい時代を描くミュージカルには新たな手法が必要である。そのためジーンとドーネンは撮影を全編ニューヨーク・ロケで行うことを希望した。

スタジオ内での撮影が当たり前のこの時代には画期的なことであった。しかしメイヤーとミュージカル製作の責任者サム・カッツにはジーンとドーネンの構想を理解することができなかった。

予算や撮影上の問題を挙げロケに難色を示すメイヤーらをフリードが説得したが、許可されたロケーション期間は五日間にすぎなかった。四十九年三月にクランクインした「踊る大紐育」は、五月にはダンス・シーンを除くほとんどの撮影が終了した。

撮影場所のニューヨーク市や海軍の許可も取れ、すぐに主要キャストと撮影クルーはニューヨークへ出かけた。

ブルックリンの軍港、バッテリー公園、イタリア人街、ブルックリン橋、ウォールストリート、チャイナタウン、自由の女神、グリニッジヴィレッジ、セントラルパーク、コロンバスサークル、ロックフェラーセンター、グラント将軍国立記念碑……。

メジャー・スタジオがミュージカルシーンを撮るためにこのような名所へ撮影隊を送るのは初めてのことだった。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『踊る大ハリウッド』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。