第二章 抱きしめたい

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桜山の桜が、満開になった日を待っていたかの様に、中学校の入学式が行われた。桜山市は、歴史的にこの満開の山桜から、名前が付けられたと聞いたことがある。

鉄平達の初恋も一緒に中学生になった。やがて、桜の花びらが散って青春の恋が枝にしっかりと残った。小学校から二キロほど離れた市立桜山第Ⅲ中学が、僕達を迎えてくれた。

中学校は、近くの二つの小学校が一緒になり僕達の学年は八クラスで構成された。中学の校舎は、鉄筋コンクリートの三階建てでグランドも小学校と比べると、かなり広くなった。

春の柔らかな光の中で、中学生活が始まった。女の子のちょっとした仕草にも、不思議に胸が騒いだ。自分の体の、急ぐ成長にも戸惑った。

鉄平は七組で、華岡は一組になった。鉄平の七組の教室はB校舎の二階だった。廊下の窓から、隣のA校舎の一階の一組の教室が見える。休み時間になると陽の良く当たる窓際で、女子が輪になって、何か楽しそうにお喋りをしている。

たまに、華岡の姿を見かけることがあった。小学校を卒業してからまだ数日なのに、何がこんなに変わるのだろう。あの卒業式の後に華岡と交わした約束は、何か別の次元の話のように思えた。半ズボンが長ズボンにランドセルが手提げカバンに変わっただけなのに。地面に撒いた種が地表に出てきて、あっと言う間に成長する様な感じがした。

クラスの編成は男子と女子が机を並べた。二校の小学校から来ているので、半分くらいは初めて見る顔だった。初めての日に、軽くお互い挨拶を交わした。

「今日は滝沢鉄平です」

照れながら彼女の顔を見た。

「始めまして山岸明日香です」

「君は何処の小学校なの?」

「桜山小学校です。あなたは?」

「志希小学校」

当たり前の事だが中学生になったら交わす最初の挨拶らしい。山岸明日香は、西洋人形みたいに目が大きく、笑うと両頬のえくぼが印象的だ。無意識に、華岡朋子と比べていた。

中学一年は、新しい事が多くあり、つむじ風の様に足元を駆け巡りあっという間に過ぎた。一つだけ印象に残っていることがあった。中学生の春季軟式野球大会の応援に行ったとき、帰りに階段式応援席の前の方から、華岡が振り返って鉄平の方を見て、帽子の襞を両手で耳の所まで持って、周りの生徒に分からないように微笑んでくれたのがすごくうれしかった。

二人の世界だった。でも華岡朋子とは中学生になって一度も二人で話をしてなかった。

二年生になりクラス替えが有った。鉄平は、華岡朋子と同じクラスになるかもと、大いに期待をした。でも反面、同じ教室で毎日顔を合わすのは、照れくさい。何よりも今までの様に、二人だけの秘密の世界には居られないはずだ。

発表が有り別々のクラスだった。残念と安心が入り混ざった複雑な心境だ。鉄平が五組で華岡朋子は三組になった。

でもクラスは別々だが、校舎は同じA校舎の一階になった。休み時間など廊下ですれ違う時は、胸がときめいた。目を合わせると、二人だけの無言の会話が出来た。

彼女が、数人の友達と輪になって話をしている時も、歩きながらすれ違う時も、誰にも分からないように、少し斜め後ろに振り向いて、僕に微笑んでくれた。そんな、華岡の表情が可愛くてどんな時も忘れられなくなった。

ある日の放課後あの小学校の松本と沖中が並んで歩いていた。やっぱり二人は交際しているのだと思った。後日、松本と同じクラスの友人から聞いた話だが、彼は新しい女友達と付き合っているらしい。あの池の公園で聞いたお母さんとの話を忠実に守っていた。

でも松本達は鉄平と華岡をカップルにしたことも、卒業後に上田が東京に行ったことも、もう過去の事で僕達二人の事は忘れていたのだろうか。だが鉄平と華岡は今でもあの時と同じ気持ちだった。

※本記事は、2019年11月刊行の書籍『爽快隔世遺伝』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。