東京都立広尾病院事件東京地裁判決

一.被告人の公判供述、検察官調書、証人D医師の証言及び検察官調書謄本

証人J副院長の証言及び検察官調書、証人(同病院H事務局長)の証言及び検察官調書、証人I医事課長の証言、F看護師の検察官調書(不同意部分を除く)及び警察官調書(不同意部分を除く)、G看護師の検察官調書(不同意部分を除く)などの関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

1) Aは、二月十日、主治医であるD医師の執刀により慢性関節リウマチ治療のため左中指滑膜切除手術を受け、手術は無事に終了し、術後の経過は良好であった。

ところが、翌日の平成十一年二月十一日、Aに対し、点滴器具を使用して抗生剤を静脈注射した後、留置針周辺に血液が凝固するのを防止するため、引き続きヘパロックするに際し、F看護師は、事前の準備において、Aに対して使用するヘパリンナトリウム生理食塩水と、他の入院患者に使用する消毒液ヒビテングルコネート液を取り違えて準備し、同日午前8時30分頃、Aに対し、点滴器具を使用して抗生剤の静脈注射を開始するとともに、消毒液ヒビテングルコネート液入りの注射器をAの床頭台の上に置き、それから他の患者の世話をするためその場を離れた。

同日午前9時頃、抗生剤の点滴が終了したため、Aはナースコールをし、それに応じてG看護師がAの病室に赴き、床頭台に置かれていた消毒液ヒビテングルコネート液入りの注射器を、ヘパリンナトリウム生理食塩水入りのものと思い込み、これを用いてAの右腕にヘパロックして、病室を出た。

その後、F看護師は、抗生剤の点滴が終わったかどうかを確認するためにAの病室に戻ったところ、既に抗生剤の点滴は終わっており、ヘパロックがされていた。

そしてまもなく、AはF看護師に対し、

「これをしたら胸が苦しくなってきた。苦しい感じがする。なにかかっかする、熱い感じがする」

などと苦痛を訴え始めたので、F看護師は、抗生剤の影響かなと思って、昨夜の点滴のことを尋ねると

「苦しくなかった」

と答えたので、原因が分からなかったため、当直医師のE医師に連絡した。

E医師は、Aに「どうされました」と尋ねると、

「胸が苦しい。両手がしびれる」

などと息苦しそうに答えた。

その間、F看護師は、E医師に対して、

「昨夜の点滴のときは問題ありませんでした。心疾患の既往はありません」と伝えた。

E医師の指示により、同日午前9時15分頃、血管確保のための維持液の静脈への点滴が開始されたが、維持液に先立ち、点滴器具内に滞留していた消毒液ヒビテングルコネート液を全量Aの体内に注入させることになった。その直後から、Aは、両肩を上げ下げして呼吸するようになり、一段と具合が悪くなった。F看護師は、抗生剤の点滴終了直後にAが不調を訴えたことから、何か点滴に問題があったのではないかなどと考えながらも、原因が分からずにいたが、Aへの応急措置が続けられている最中、処置室に立ち寄った際に、ヘパリンナトリウム生理食塩水入りを示す「ヘパ生」と黒色マジックで書かれた注射器が置いてあるのを見つけ、それに自らが書いた「B様洗浄用ヒビグル」というメモが貼ってあるのを発見した。

ここでF看護師はヘパリンナトリウム生理食塩水ではなく、消毒液ヒビテングルコネート液がAに注入されたことに気付き、Aの病室に戻り、室内のE医師を手招きして呼び出し、出て来たE医師に「ヘパ生とヒビグルを間違えたかも知れません」と告げた。

E医師はそれを聞くと下を向いて、フウーッとため息をつき、何も言わなかった。

その時、病室の看護師がE医師を呼んだので、F看護師とE医師が病室に戻ると、

Aは、「苦しい。意識がなくなりそう。もうだめ」とあえぐように言った途端、意識を失い、

同日午前9時30分頃、心肺停止状態になった。

E医師と、もう一人の当直医であった〇医師が心臓マッサージと人工呼吸を行い、また、Aをベッドごと処置室に移した。同日10時25分頃、連絡を受けた主治医のD医師が駆け付け、Aに対し心臓マッサージを行ったが、その際に、E医師からAが抗生剤の点滴を終え、看護師がヘパロックした直後、容態が急変した状況、1時間以上心臓マッサージ等を行っているとの説明を受けるとともに、「看護師がヘパロックする際にヘパ生とヒビグルを間違えて注入したかもしれないと言っている」と聞かされた。

D医師は主治医としてAについて病状が急変するような疾患等の心当たりが全くなかったので、信じたくはなかったが、薬物を間違えて注入したことによりAの病状が急変したのではないかとも思った。また、D医師は心臓マッサージの最中、Aの右腕には色素沈着のような状態があることに気づいていた。D医師は心臓マッサージを数分間行ったが、その後、蘇生の気配がなかったため、〇当直医と心臓マッサージを代わり、Aの親族が待機していた病棟カンファレンスルームに行き、親族らに現在の状態を説明するとともにAのいる処置室に伴い、親族の意向も聞いて、人工呼吸器の蘇生措置を止め、同日午前10時44分にAの死亡を確認した。

D医師は、親族に対して、死亡原因が不明であるとして、その解明のために病理解剖の了承を求め、親族からは、Aの急変の原因として誤薬投与の可能性について質問あったが、D医師はわからないと答え、看護師による誤薬投与の可能性を伝えないまま、親族から病理解剖の了承を得た。  

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『死体検案と届出義務 ~医師法第21条問題のすべて~』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。