何がいけなかったんだろう。

がっかりするより何かの手違いではないのかとまだ自分を美化していた。後で気付いたことだが、受けた面接先は地元の中小企業がほとんどで、自称立派な経歴に逆に違和感を覚えたらしい。

立派な経歴や経験が必ずしも役に立つとは限らないことを知らされた瞬間だった。それからは役職は書かずに職務経歴のみを書くようにした。

それでもやはり、六十歳過ぎの就職は困難を極めた。世の中そんなに甘くはないことをいやと言うほど経験していたはずなのに、自分の楽天的思考に苦笑いをした。

それでも何回か面接を受けた先でイベント会場を現地で設置する会社に採用となり、早速再就職する運びとなった。最初は倉庫内の備品の入出荷を任せられた。フォークリフトの免許を取っていたのが幸いした。

しかし二週間経った頃、わずか十キロ程度の荷物を持ち上げたとき、ギク! 痛い! まさか! そう、ぎっくり腰をやってしまったのだ。しばらく我慢しながらやってはいたが、荷物の上げ下ろしが出来ず、三週間で最初の職場はあっけなく撃沈してしまった。

自分ではまだまだ若いつもりでいるのに、身体は正直である。またハローワーク通いが始まったが、なかなか条件に見合う職場がない。本当に、日本はどうして立派な経験と人脈を持つ貴重なシルバーメタルを活用しないのか腹立たしく思えてきた。

やがて、ハローワークでは埒が明かないので民間のネット人材募集を検索すると、これが意外とあるのだ。民間の情報機関の方が、リアルタイムの情報が取れるようだが募集内容が変則的なものが多かった。

それでも、条件を入力して検索すると、一件ヒットした。運転手募集、ただし勤務時間は午前二時間、午後二時間の一日四時間の勤務である。

それに正社員ではなく、契約、つまりアルバイトみたいなものである。ま、家で何もすることがなくブラブラするより時間潰しにやってみるか? と電話で応募してみた。

早速面接の日時の連絡があり、簡単な筆記試験と運転技能試験があると告げられた。よく内容を聞いてみると、デイサービスを利用しているお年寄りの送迎が主な仕事らしい。

その時なぜか、一年前に九十二歳で亡くなった母のことが思い浮かんだ。母も以前同じような介護サービスを受けており、大げさに言えば何か運命的なものを感じずにはいられなかった。

母に「私がお世話になった分、お前が少しお返しして来い」と言われている感じがしたのである。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『60歳からの青春グラフィティ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。