【人気記事】JALの機内で“ありがとう”という日本人はまずいない

新年会

以前職場のサークルで、毎年新年会を行っていました。主に登山やハイキングを行う、山岳会モドキとでもいうようなサークルでした。そのメンバーで、年明け1月か2月に、温泉に1泊する旅行を恒例行事にしていたのです。転勤や退職など、会員の減少で会が消滅するまで、10回(年)以上続いたでしょうか。

中でもよく利用したのが群馬県の谷川温泉でしたが、各地の「かんぽの宿」を会場にすることも少なくありませんでした。群馬・四万、神奈川・湯河原、福島・塩沢などの温泉地を我々なりに厳選し、年によって場所を変えるのが常でした。

私が幹事を務めたのですが、慣れないことだけに当初は随分と苦労しました。会員は20名足らずとはいえ、全員が休暇を取れ参加できるよう配慮し、宿の予約や食事内容、あるいは車の手配や部屋割りなど、ありとあらゆるところに気を回さねばならず、新年会を楽しむよりは気疲れしてグッタリする始末でした。楽しみな反面少なからず労苦もあり、慣れるまでは本当に大変でした。

しかも、誰も幹事などにはなりたがらず、そんな連中に限って注文や文句が多い。北にすれば「南がよかった」とか、「この温泉はこんなものか」だとか、親の心子知らず的な言動を浴びせられたこともありました。それでも新年会をするようになってから毎年途切れさせずに続けられたのは、仲間と一緒に行く温泉旅行が楽しみだった以外の何ものでもなく、こうした幹事の経験は、その後の山旅などにも活かされることとなったのです。

一連の仕事をこなすことで、私はそれに慣れていきました。最初は苦手で面倒だった作業も苦にならなくなり、今や(実際にお世話になることも少なかったのですが)ツアー会社など不要なほどに段取りがよくなりました。予定など立てなくてもその場その場で対応し、何を最優先してどう計らえばいいのか、おおよそ身についたといっていいでしょう。

50歳の年には中学校時代の全クラス合同の同窓会があり、私はその幹事を務めるまでに「成長」していました。他の幹事の協力もあったとはいえ、先生・生徒を含め60余名の参加者を数える会を、何とか開催にまでこぎつけたのでした。