例えば、政治家は一般的に言って顔が広い。様々な組織、グループや地域の人々を多く知っている。しかし、その関係は、「政治家」対「選挙民」である。所属している政党の仲間も多いだろう。
そして、その関係は仕事場の同僚である。様々の専門家や陳情に訪れる国民と話す機会も多い。これらの活動は、全て一人の政治家としてなされている。
本人の役どころ一つに対して、大勢の人間関係だ。個人が役どころに囚われず、他人と接すれば、異なる筋の人に出会える。自分の立場を制限しなければ、思いもかけなかった人と互いの心を交流することができる。
多くの人は、初めから自分と違うタイプの人を敬遠しがちだ。豊かな人間関係とは、単に友人知人の数ではなく、「自分と違ったタイプの人をどれだけ知っているか」という点に関わってくる。
―年齢が大きく離れている友人はいるだろうか。
―社会的地位が格段に違う友人はいるだろうか。
―全く違った専門分野を持つ知人がいるだろうか。
―異なる思想の友人を持てるだろうか。
これらの質問にイエスの答えが多ければ、豊かな人間関係を楽しんでいる人と言えよう。
このような豊かな人間関係に恵まれる人の割合は少ないだろう。内的外的要因があり、なかなか簡単に築けない。年齢的にも、人生を一生懸命に生きてきた、ある程度の年齢を重ねた人が持ち得るものだ。
しかも、他人に興味を持ち続け、自己を確立していなければならない。私には歳をとってからの、理想的な境地とも思える。
それは憧れであると同時に、歳を重ねた現在ある自分の「豊かさへの欲求」の一つでもある。