弟がそぉっと鍵を開けてくれて楽譜とランドセルを持って家の中に入ると、母親は泣きながら食器を投げている。私と弟は食器の破片を拾いながら、母親に聞こえないような小さな声で、「嫌になっちゃうね……」と言う。

弟は涙を浮かべながらも私には優しかった。弟は弟で、プロのサッカー選手にならなければならなかった。試合でミスをすれば、家では延々とダメ出しを食らう。

「お前は脚が遅いからダメなのよ」弟は、ひらがなの『つ』と『し』の区別が付かなかった。カタカナの『ツ』と『シ』の区別も付かなかった。

「こんな馬鹿な子供を産んだ私は大馬鹿野郎だよ」酒を飲んでは罵声を飛ばし、私と弟はじっと耐えることしかできなかった。

毎日怯えて暮らしていた。夕飯の時、私も弟も無言だった。「美味しいと言いなさい、馬鹿どもが」無表情で答える。

「美味しい」

「笑顔で言いなさい」

言えるわけがない。私はさっさと部屋に戻り、勉強をしている振りをする。そして、ノートにひたすら胸の内を書いた。可愛い弟を連れて、出て行きたかった。

札幌での高校受験。私は大した高校へは進学できなかった。塾には通っていたが、さほど勉強しなかったし、学校も大嫌いだった。

そこで、国立音楽大学に入れてピアニストにするという母親の夢は断たれた。

補欠合格をした私は完全に勉強することは止めた。やっても無駄だった。周りのレベルに着いて行けないし、そもそもやる気がないのだから。それでもピアノだけは真面目にやっていたが、勉強を捨てた時点で私は母親からしたら裏切り者と見なされる。

「今までお前のピアノ代にいくらかかったと思っているんだ! 裏切り者! 返せ! ふざけるな!」

私の居場所はなくなった。ピアノを頑張り、なんとか十六歳までは家にいさせてもらったが、そもそも私は音楽大学へなど行きたくなかった。

ピアノで生活して行こうという気もなかった。高校へ入ってからは心理学に興味を持ったが、母親は聞く耳を持たなかった。

しまいに、ピアノの音は弟の勉強の邪魔だとされるようになった。私の存在そのものが、もはや邪魔者でしかなくなった。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『破壊から再生へ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。