しかし、人間の考え方は多様であり、意志は自由であり、活動スタイルも幅広いものです。製造業モデルの硬直的な働き方が肌に合わない人は、自由業、フリーランスを目指し、自らの精神の自由を確保しようとします。

私がかつてお付き合いをさせていただいた立派な方は、朝が苦手なので新聞社に入ったといっておられました。朝型の人もいれば、夜型の人もいます。作家の五木寛之氏は完全な夜型で、普通の人と生活パターンが逆だそうです。

朝型の人から夜型の人を見れば、「朝、遅刻する姿をみて、だらしない人だな」といい、夜型の人は、夜に弱い朝型の人をみて、「体力がない人だな」というのです。

人は、自分の身体のリズムではじめて能力を存分に発揮することができます。

しかし、ものづくりに基本がある産業社会は、そうした違いを許さないのです。もちろん製造業の仕組みに合っている人も当然います。そうした人は能力を発揮していることでしょう。

教育はいまだに製造業で役に立つ人間を育てる仕方で教えています。同じ基準の中に多くの子どもを当てはめ、偏差値という物差しで振り分けていきます。せっかく個性あふれるすばらしい才能があるのに、社会はそうした人々を弾いてしまうのです。

仕事とは自らの創造性を発揮する場ではなく、決められたとおりに一生懸命努力する場であり、そのルールの中で成果をつくりあげられる人間が、優秀だとして競争させられてきました。

そうした背景があるため、仕事とは「させられるもので、するものではない」という感覚が生まれ、私たちは長い間、苦しんできたのです。

しかし、オンラインワークという場を体験したことで、満員電車に揺られることなく、会社という箱の中でなく、出張という疲れる移動を伴わず、余分なエネルギーとストレスをためることなく、どこにいても仕事ができるスタイルをはじめて知ったのです。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『ワークスタイル・ルネッサンスがはじまる』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。