―今年の夏は展覧会が四つほどあり、毎日製作に励んでいます。ものすごく多忙です。追ってご案内差し上げますが。

ところでお元気のことと思います。昨年秋の展覧会、見て頂けなくて残念でした。僕にとっては貴女ひとりのための展覧会でした。『グロッタ(洞穴)―聖女の棲家』と題する作品でした。

あの作品を真に解ってくれるのは貴女だけでしょう。

そしてそれから、僕は、自分の意思に反して聖女を主題とした作品が描けなくなってしまいました。今、悲しみを込めて、聖女の呪縛から逃れようと呪縛解きの呪文に関する作品を作っています。

毎日が小さくて黒々としています。黒々とした小さな時間が無理に繋がって僕を責め苛み、まるで昆虫恐怖の幻覚にも似て、僕はその中で頭を抱えうずくまって年を越しました。戦いながら。そして、ものすごく多忙です。

貴女はもう卒業ですね。これからどうされるのですか。無言のまま僕から去って行くのですか。

二月十三日、午後二時、ユタにて切にお逢いしたい。性懲りもなく、切に。今度こそ。

金曜日です。この日の我々に限り、ユタを「ユダ」と命名したく思います。その日まで聖女であって下さい。僕も哀しい悪魔、ピエロであるように努めます―。打って変わって神妙な手紙が届いた。

あなたは田島の手紙を手にするたびに、あなたの耳にあの夜の田島の無言の荒々しい息遣いを聴いてきたのだった。そしてあなたの喉元に甦るのは、田島が苦しそうに吐きつづけた灼熱の湿った体温であった。

けれどもあなたはやはり出かけて行かなかった。

時代はいつだって自らその体内にクーデターや革命の波を胚胎して怪しく動いているが、その気分に放恣に敏感なのは学生の特権だ。あなたもその例にもれず、すでに信じることを放棄した自閉の日々を茫々と迎える学生の一人となっていたが、一方で、壁の穴から芥子粒のような目を光らせて覗いている鼠のように、息継ぐ間もなく出来(しゅったい)する時代のめくるめく証に心を奪われていた。

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『となりの男』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。