一般的には、「よい大学」を出ることです。「よい大学」に入るためには「よい高校」、そこに入るためには「よい中学」……と、いまやそのゴールを目指して「よい幼稚園」から始まります。それは、特に都市部では、一般常識のようです。一般的な常識は、社会的な規範になります。「お受験」などと言われていますが、熾烈な幼稚園入園競争の話など聞くと、私のような田舎者は、気が遠くなるばかりです。

教育、特に幼児教育などを考えても、児童が発見されたのは20世紀であり、それほど昔ではありません。1900年にエレン・ケイという社会思想家が、『児童の世紀』を著しました。それまで子どもは小さな大人であり、7歳も過ぎたら労働力として数えられました。

20世紀になって、子どもには心身ともに発達の過程があり、保護され尊重されなければならないものになりました。発達心理学の出現と符合します。それ以来100年ほどの間、いろいろと教育についても考えられてきましたが、子どもはこう育てたらよいという定説は見つかっていません。その社会の特徴に依存しているということもありますが、控えめに言っても、決定打はありません。すばらしい幼稚園に入れても、必ずしもすばらしくなるわけではありません。

それでも「よい幼稚園」からスタートしないと気がすみません。万全を尽くそうとすれば可能な限りそうなりますが、この最終的には「よい会社」のゴールに至る社会的規範を〝学校レール〞としましょう。この〝学校レール〞の「よい」は何かというと、次の学校に入れるために「よい」ということです。よい幼稚園、よい小学校、よい中学校、よい高校は、よい大学に至るまで、次のよい学校に入るための手段としてのよさです。全体的な子どもの発育を考えるとか、学習を楽しむなどは二の次になります。すべてが手段です。そのためには幼い時から塾に駆り立てる、そのレールに乗せ、落っこちないように手を尽くし血道を上げるのが、親の務め、親の愛情だと思われています。

そしてこの「よい」は何によって評価されるのでしょうか。名門と言われるネームバリューもありますが、第一には偏差値です。偏差値は、テストの点数の分布です。

すなわちテストの点数の高い学校が「よい」のです。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『“発達障害かもしれない人”とともに働くこと』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。