「あの、この左のおんなのひとは? ─あなたのおねえさん、ですか?」橘子は尋ねた。

棟方さんは心持ち眉に皺を寄せて、小さな声で「いいえ」とかぶりを振った。

「あ、じゃあ─」

きょうだいでなかったら友達かと感じてそう言いかけたが、今の棟方さんの微妙な表情に、そういう単純な関係でもないような気がして、橘子は口を閉じた。そして、棟方さんが自分から答えてくれるのを待った。かの女が答えをかえしてくれるのに少し時間がかかったようにおもわれた。

「あの、この方は東京で、あの、清躬さんの、お世話をされていた─」

棟方さんは考え、考え、ゆっくりゆっくり言葉を発したため、完全に言いきるのを待てず、橘子は言葉を挟んだ。

「清躬くんのお世話って?」

お世話って、變な言い方をする。橘子は少し引っかかった。

「ちょっと清躬さんに事情が─」

棟方さんはそのまま言い止した。

事情という言葉が橘子にはますます引っかかる。清躬の顔を確認したら終わりのはずだったが、新たな人物が登場して、話が終わらなくなった。それでも、知り合いとか友達とか言っていたら、それで済んだ話なのに、世話していたとか、事情とか言うから、こちらも気になってしまう。それにしても、一体どうしてこんな謎の写真を出してきたんだろう。ややこしくてしかたがない。

「あの、清躬くんの写真を見られてうれしかったんだけど─これ、わけありの写真? わざと?」

橘子はおもいきって突っ込んだ。「事情」という言葉だけで止まってしまうのが嫌だったから。「わけ」をちゃんとききたい。言いにくいことかもしれないが、かの女は「事情」のある写真を自分に見せてしまったのだ。

「御免なさい。わけありと言うと、清躬さんに傷があるような感じにきこえますけど、決してそんな写真ではないんです。でも、そういう誤解を生むのは、私がちゃんと説明できていないからですね」

「言葉の使い方が私こそ適切でなかったわ。御免なさい。でも、普通写真を見せるなら、清躬くん一人の写真か、あなたと二人で撮った写真かじゃないですか。でも、ほかにもう一人写っている写真だし、それにおんなのひとだし」

「その写真しかないんです、清躬さんの写真は。本当に、ほかにはないんです。だから、お見せできるのはその写真だけなんです」

棟方さんはきっぱり言った。

でも、戀人の写真がないなんて、信じられない─と、やっぱり橘子はおもった。戀人だったら写真があるはず。なんで隠す必要があるだろう。写真が本当にないんだったら、清躬は別に関係を意識していなくて、一方的に棟方さんがおもっているだけ? ストーカーは言い過ぎにしても。

「この写真のことをお話しするためには、この左の方と清躬さんのつながりについてお話ししなくてはなりません。それをちゃんと言おうとおもうと、少し長いお話になります」

少し間をおいて、棟方さんが続けた。

「私のほうは構わないわ、長くったって。赤の他人の私なんかがあまり立ち入ってきいちゃいけないのかもしれないけど、清躬くんは私の幼馴染でとってもなかよくしていたから、正直なところ、かれのこと気になってるの。勿論、無理にとは言わないけど。でも、あなたのほうでもよければ、ちゃんと話をきかせてほしいわ」

橘子は自分の気持ちを言った。「私は差し支つかえありません。実は、あなたは清躬さんのことにとっても理解がおありなようですから、きちんときいていただきたいくらいです」

「じゃあ、いいのね」

棟方さんがちゃんと話してくれるというので、これで少しはもやもやがとれたらいいと橘子は期待した。

「あ、こんな玄関で立ち話もなんですから、ちょっとお上がりになりません? 荷物もコートも重そうだし、立たせっ放しじゃ申しわけないわ」

棟方さんがコートを手に持ったまま、大きめのかばんに紙袋まで持って、結構大變たいへんそうなのが、さっきから橘子の気にかかっていた。

「え、でも、そんなお邪魔は─」

棟方さんは固辞した。

「遠慮されることはないですよ。それに、たまたま両親とも外出していて、私一人だから、気をつかう必要もありませんし」

「え、でも……」

「どうぞ上がってください。ほら、コートお持ちしますよ」

橘子は手を差し伸べ、コートを受け取る仕種をした。

「さあ、さあ、」橘子はなおも強く勧めて、とうとう棟方さんも折れた。
 

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『相生 上 』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。