山岳捜索隊 溝原朗子みぞはらりょうこ

溝原朗子は登山道三十年のベテランだ。

還暦はとうに過ぎ来年は六十代も折り返しになる。武蔵山脈のふもとに住む朗子は七十代の夫と山岳ガイドをしている。夫は昨年七十歳で山岳捜索隊を引退した。朗子もぎりぎりまで捜索に携わろうと思っている。

山岳捜索隊は有償ボランティアだ。平日は若い者は仕事をしている。朗子のような現役を退いている者は平日は大きな戦力だ。そのため山岳ガイドは、なるべく夫と同じ日には引き受けないようにしている。

もしもの時、ガイドを夫に交代してもらって、捜索に加わるためだ。三十年も山と向き合っている朗子には初動捜索の重要性は痛いほどわかっている。そして自分も母親のひとりとして、少しでも早く遭難者を親御さんに無事に返してあげたいと常に願っていた。

六月二十六日(火)深夜、武蔵山脈虎岳から二十七歳の若者が下山しない、と連絡があった。朗子は、すぐに捜索参加を決めた。

六月二十七日(水)捜索一日目。嵐。朗子は警察の案内をして登山道を歩いた。何もみつからなかった。

六月二十八日(木)捜索二日目。曇り時々雨。今日も案内を務めたが、何一つみつからなかった。ヘリコプターが飛んだ時間もあったが、収穫はない。

六月二十九日(金)捜索三日目。炎天下。見える登山道はすべて歩いたと、警察の地図上に記された。捜索は打ち切り、七十二時間の終わりの日だった。一足先に火口のレストハウス前に着いた。まだ帰らない仲間を待つ。

警察の車も着き、担当の坂崎が降りて来た。次々に車が入れ替わりに出入りするレストハウス前駐車場。まだ昼を回ったばかり。今日の天気で平日とはいえ、車で来られる武蔵山脈の火口観光客は途切れない。

家族も来ているのかもしれないが、人が多く、わからない。やがて沢に行っていた最後の二人が帰って来た。坂崎が山岳隊を集めてねぎらいの言葉と、捜索打ち切りを告げた。

それから言いにくそうに、遭難者家族から明日土曜日、家族と登ってもらえる者がいないか、打診があった。坂崎は消極的だ。それはそうだ。今日で捜索が終わったばかり。ここから数日してみつかるならまだしも、明日もし山岳隊と家族がみつけてしまったら、いろいろと問題がある。

その時、遭難者の兄らしき若者がゆっくりと口を開いた。

「弟が最後に見たかもしれない風景を、見てみたいんですよ」

うまいことを言う。「私、行きますよ」朗子は思わず口に出た。すると一緒にいた仲間が、次々と参加を決めた。坂崎は苦い顔をして、明日七時半レストハウス集合と、警察も何人か出ます、と言った。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『駒草 ―コマクサ―』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。