弥七は嫌われ者であった。特に悪気もないのに、なぜかどこに行っても目を付けられ、いじめられる。

と本人は思っているが、ふてぶてしい身勝手さが、目つきの悪さや態度に滲み出ていた。

「おみゃ、図体がでかいだけじゃ、役にたたんがね」

と続けて言われて、弥七はカッとなった。そんなわけがあるか。

弥七は力が強く、上背もあり、特に手が長かった。他の水手と同じくらいには働いていると思っていたし、根が勤勉でない弥七にしてみれば、人一倍頑張ってきたとも言える。自分はずっと座っているだけではないか。

怒りに任せて、持っていた竿を持ち上げ、振り下ろした。

それが、舟頭の頭のてっぺんに、がつっ、と音を立てて当たったかと思うと、舟頭は「ううん」、と呻いて、舟底にくずれ落ちた。

河岸の人足は青ざめたが、弥七はむしろ平然とかがみこんで様子を見るとしかし、舟頭はもう息をしていなかった。

これは困った。

竿で殴ったくらいで死んでしまうとは思わなかった。よほど打ちどころが悪かったのだろう。弥七は、自分の短気を反省するでもなく、またもや自分が不運に見舞われた、としか思わないのであった。

どう裁かれるか。もしかすると事故として杖罪で済むかもしれないが、まがりなりにも雇い主であるからには、主人殺しだとされれば死罪は免れない。

よし、このまま川を下ろう。

弥七自身は行ったことはないが、この矢矧の川は曲がりくねって、いずれは海にそそぐ。

何度か考えたことだった。もっと早くに踏み切っていればよかった。

河岸で疑わしそうな顔をしている人足に、「井ノ口で手当をするでね」と、ここから数里下流にある郷の名を告げ、舟の舫いを解いた。

父母に迷惑が掛かるかもしれないが、構やしない。狭い田畑を耕す家から、兄弟の中で最初に出され、川水手くらいにしかなれなかったことで、弥七は家も憎んでいた。

横たわる舟頭に莚をかけ、それだけはたくさんある麦俵を開けて、生の麦をくちゃくちゃと噛んでいるうちに日が暮れたが、月明かりを頼りにそのまま川を下った。

夜が明けると、川幅も広くなり、鴎の姿が見られるようになった。

ほどなくして、海についた。

風が吹き、波の高さは川とは比べ物にならない。

舟が岸から少し離れると、ほっとして弥七は、硬くなった舟頭の死体を海に捨てた。

すると急に空が曇ってきた。

海神の怒りでも買ったのだろうか。

岸に向かおうとして、竿を海にさし、底につかないのに気付いて血の気が引いた。

慌ててともかいにとりついたが、川舟の櫂は主に方向を調整するためにあり、それで水を漕ぐには向いていない。弥七は懸命に海を掻いたが、岸は一向に近づかない。

風が強くなり波が高くなって、低い川舟のへりから水が入ってくる。雨も降り出し、岸が見えなくなってしまった。疲れて櫂を放し、大粒の雨を降らせる鉛色の空を見上げ、自分の行いを棚に上げて、頓死した舟頭を恨んだ。

波に揺られて気持ちが悪くなり、胃の中にある麦を吐いた。

陸は嫌いだが、海はもっと嫌いだ、と弥七は思った。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『東方今昔奇譚』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。