ただ、違和感を感じた部分もありました。それは肝心の入居者のおばあちゃんが、もはや認知症や種々の疾患を患い、自分でほとんど動けなくなっていたことでした。そうするとその空間はあまりにだだっ広く、誰のための空間か?と違和感を感じたのです。

それにしたって18㎡なんて、病院の特室のような狭さです。これが住居と言えるのだろうか?と甚だ不満だった私の意見に妥協し、作られたのが25〜26㎡の部屋14室でした。残りは18〜20㎡の21室になりました。こんな狭いところに入居してくれるものだろうか?と甚だ不安でした。しかし、蓋を開けてみれば、ユーザー目線の母のいう通りでした。部屋の狭さが集客に大きな支障になるということはなかったのです。それどころか、25〜26㎡の部屋にご夫婦でのご入居をご希望される方が多々いたのは驚きでした。

狭いと思うのですがねぇ。しばしば事業継承にあたり、母の意見を参考にし、失敗したことはなかったのですが、ここでも助けられました。机上の空論と実際の経験論とのバランスを取るのが大事だとつくづく教訓になりました。結局、サ高住の共用部分を勘案しない、最低床面積25㎡の部屋は、値段よりも広さを求める独居の方と夫婦で入居をご希望される方に訴求する部屋として住まわれてきました。私の35㎡でなくてはならない、というスウェーデン流は札幌で終の住処を目指す住宅事業においては机上の空論、無駄に広い部屋という結果になってしまったようです。

ストックホルムのグループホームの一室。広い部屋の隅に自分で動けぬ他者移乗レベルの入居者さんがベッドに寝られていた。

それは訪問診療で他社の大きなお部屋のご夫婦をうかがった際にも実感させられました。ご入居間もないというのにゴミ屋敷と化していたのを見た時、広すぎるというのも罪なものだと感じました。初めは自立型で現役当時と同じ感覚で広いお部屋を選びます。しかし、間も無く、認知症や身体疾患を患い、動けなくなってしまうと、訪問介護、看護なしでは部屋の恒常性が保てなくなってしまいます。サービスを追加すれば新たに費用がかさみます。自立型サ高住への入居に際しては、この落とし穴が、案外見逃されているように思います。

このような経緯で決まった居室の広さですが、開業後の経験や多方面での見学を踏まえても、終の住処としては狭すぎないものなのだと感じています。広すぎて、手すりやつかまり棒だらけの殺風景な部屋よりも、慣れ親しんだ食卓一つと棚を置き、それでつかまり歩きできる範囲の広さが、終の部屋には適正なのでしょう。老いるにつれ、いつの間にか現在の自分に、広くなってしまった自宅の空間が環境障壁になってしまうこともあるのです。住み替えはそれを和らげる効果もあるのかもしれませんね。
 

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『安らぎのある終の住処づくりをめざして』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。