こんなエピソードもあります。大会期間中に、私よりも年上の先輩が、試合が終わると真っ先にグラウンドに出て、土をならしたり、ベースを磨 いたりしていました。私はその方に、

「いつも一番にグラウンド整備に入りますね。本当に尊敬します」

と言うと、 「いやー、自分のチームは弱いから毎年すぐ負けちゃうんだけどさ、これから決勝戦を戦う子どもたちに最高の舞台を用意してあげたいじゃん。俺は話すのうまくないから、後輩には行動で語るしかないよね。それが先輩から受け継がれてきた心だからさ」 と言われました。こんな発言が普通にできる素敵な教師が現場にはいます。自分が勤務する学校以外の素敵な教師との出会いも、部活動の魅力です。

また現在、自分がやってこなかった分野で部活動の顧問をしている人もいると思います。技術指導ができない辛さ、本当によくわかります。自分のやってきた分野で顧問をしている教師が羨ましく、輝いて見えるでしょう。

私も以前、陸上競技部の顧問をしていたことがあります。私は人生の中で一度も、陸上競技部に所属したことはありません。陸上競技部の顧問を言い渡されたときの率直な感想は、「嫌だな」というより、自分みたいな素人が顧問になってしまう子どもに、「申し訳ないな」でした。しかも前任の顧問はバリバリの陸上経験者。部員はその教師と私を比べ、私を頼りにしていない、残念な目で見ていることは明らかでした。しかも前任者はよくグラウンドに顔を出してくださっていたので(もちろん私が陸上素人と知っての善意なのでとても感謝していますが)そのときの居場所のない、惨めな思いといったら……。人は比べられることが辛いということをこの時改めて痛感しました。

しかし、ここで、 「俺だってやりたくねーよ」 と開き直り、ただそこで見ているだけの顧問になってしまうか、できないことはできないと認めつつ、自分にできることを全力でやるのかは、自分次第です。

私の場合はまず、DVDを購入し、短距離、長距離、走り幅跳び、走り高跳び、砲丸投げなど、あらゆる種目を勉強しました。そして、学んだことを、子どもと一緒に実践するようにしました。

最初は詳しい子どもに教えてもらいながら、短距離のスタートも何度もやってみましたし、砲丸も何度も投げました。

道具もたくさん買いました。加速を体感してもらうために、巨大なゴムを買って、子どもを引っ張ったこともあります(あれは効果があったのだろうか……)

私はこのように、子どもの「夢中」を応援してきました。すると、不思議なことに、自分自身も陸上競技に夢中になり、陸上競技が魅力あるものに思えてきました。

基本的には球技をやっていた自分にとって、陸上競技は「正直何がおもしろいのかわからない」という対象でした。しかし目の前の子どもは、100メートル走の0.1秒を縮めるために、毎日努力を続けています。体一つで行うものが多いので、コンディションの管理にも気を配っていました。

「個人競技」だと思っていたのに、仲間のタイムをとる子がいたり、スタンドで必死に仲間を応援する子がいたりして「団体競技」であることもわかりました。

このような背景があることを知り、大会で一生懸命競技する子どもの姿を見れば、感動することは間違いありません。だからこそ、働き方は人それぞれですが、個人的には教師が手を抜かない方がよいと思います。

自分がやってこなかった分野の顧問をする場合は、無理して「教えてやる」というスタンスではなく、「一緒に学んで楽しむ」「できる子どもを生かす」という方がよいように私は思います。

「ブラック部活動」という言葉が最近よく言われています。しかし、部活動の中にある子どもの輝きも無視することはできません。

部活動は「理不尽」を押し付ける場ではなく、「子どもたちが主役となって、夢中になって楽しむ場」「粘り強い努力で困難を乗り越える場」だと思います。そして教師にとって出会いの場にもなります。

あなたは、どのような考えで部活動指導に取り組みますか。

そしてそれを実現するために、実際にどんな部活動指導しますか。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『教師は学校をあきらめない! 子どもたちを幸せにする教育哲学』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。