「禅、そろそろ帰ろう」

「え!?」

時計を見ると、店に来てから二時間が経っていた。しかし禅は帰りたくなかった。

「もう少しいようぜ、金なら俺が出すから頼むよ」

そう真剣に言う禅の頼みを、賢一は断る事は出来なかった。

「しょうがないなあ……じゃあ、あと一時間だけだぞ」

「ああ……」禅は、閉店までいたかった。

しかし、楽しい時間はあっと言う間だった。

禅は酔っ払った勢いで、勇気を出して言った。

「今度、食事に行きませんか?」

「ええ、ぜひ」

禅は酔いが覚めるほど驚いた。

「え? 本当ですか?」

「はい」

「………」

ポカンとしている禅に、シェリールは聞いた。

「どうかしました?」

「い、いえ……嬉しくて……」

「え?」

シェリールは、クスリと笑った。

そして禅とシェリールは連絡先を交換した。

会計は賢一がした。禅は長くいたので自分が払うと言ったが、賢一が払わせなかった。

「今日はお前のお祝いだから、俺に出させてくれ」

「安月給なのに申し訳ない」

「バカにしやがって! まあ、本当の事だけどな」

賢一は、そう言うと笑った。ママとシェリールが、エレベーター前まで見送りに来た。

禅はシェリールの笑顔を見ていると、本当に帰りたくなくなった。

二人に別れを言って、エレベーターに乗り込むと賢一が言った。

「お前、あの娘に惚れたのか?」

禅はドキッとした。

「いや、それほどでも……」

その嘘は賢一には通用しなかった。

「好きになるのは勝手だけど、ほどほどにしておけよ」

「ああ、分かっているよ」

二人は、それ以上何も言わなかった。外に出ると禅は賢一に礼を言った。

「今日は、本当にありがとう、楽しかったよ」

「何を言っているんだ、親友だろ? いや違ったな、兄弟以上だったな」

そう言って笑う賢一を見て、禅はまた涙ぐんだ。

「そうだな」

タクシーを捕まえ、乗り込もうとした禅が賢一に言った。

「タクシー代を出すから、お前もタクシーで帰れよ」

「いや、お前は社長、俺はしがない公務員……電車で帰るよ」

そう言うと笑いながら手を振った。

「お前、昔のままだな」

「お前もな」

二人は笑いながら別れた。

禅は、賢一への感謝の気持ちで一杯だった。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『アリになれないキリギリス』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。