学生ながら、一仕事終えたというひと時だ。一区切りついた事もあって、誰からとも無く、一緒に晩飯を食べに行こうという事になった。焼肉に決まった。近所の馴染みのお店に行く。

何人もの顔見知りもいる。何の面識もないが、学内でときどきすれ違って顔に見覚えの有るだけの人もいる。楠田と木本もいた。彼らは同じ班なのだった。

情報通の田上が、あれは脳外の誰で、あっちは呼吸器の誰で、と教えてくれる。高尾や、高久も、運動部に所属しているので、何人かについて説明してくれるが、女性関係や愛人問題までは教えてくれない。

田上が言った。そういえば、生化学の宮本助教授に女がいるという噂だぞ、あれだけかっこいいんだから、と。まさか、娘さんを見間違えたんだろう、と高久。

高尾が、娘さんがいることを知っているのか、と問うと、知らないと答えて、みんな笑った。焼き上がる肉を眺めながら、これは肩ロースだから僧帽筋なんだろう、とか口走る。

僕らもすっかり慣れたもんだな、と感慨深そうに高尾が呟く。実習の最初の頃、さっきまで遺体の解剖をしていたのに、休憩室で焼肉弁当を食べる先輩の話が信じられなかった。

それが自分たちもいつの間にか、似たような事になっている。時間の経過はかくも残酷なのさ、と高久が冗談半分に気取って言った。

いや、ただ時間が過ぎたというからではなくて、慣れるという事は恐ろしいよ。何でも、平気になってくる。高尾が自分の言葉を嚙み締めるように言った。

習慣が人を作ると言うからな、と田上。

でも、悲しい習慣というのも有るよね、と僕。

例えばこうして解剖学実習のあとの焼肉か、と田上。みんなが静かに笑った。その時、網の上に並べられた肉片群のどれか一つがジュッと音を立てた。

(第1部終了)

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『正統解剖』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。