血の糸

そんな噂を耳にしても、沖田は素知らぬふりをしている。前にも述べたとおり、香村は二つ先輩である。

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だが、今は、先輩に対し沖田刑事が指示、命令を下す立場になっている。こうなったのは、学歴の差かもしれない。しかし、それよりも、自分に比べて香村がお人好しのせいだろう。

香村はバカ正直と思えるほどコツコツと働く。自分にはとてもできないことだ。だから内心、香村は誠実な人物である、と沖田は感じている。それだけに、先輩に対して指示、命令することは辛い、と彼は思う。

とは言ってみても、事件の調査が進展するにつれて、沖田刑事には、香村に疑いを持たねばならないような苦悩が生じてきた。

とても厄介なことに、他人の空似と言われるが、香村良平と早川岩雄は人相や体格が酷似しているのである。聞き込みを重ねていたら、香村良平らしき男を目撃した、という人も4、5人出てきたのだ。

また、どこでどう調べたのか

〝早川岩雄の亡霊が生き返って女殺しか? それとも、現職の刑事か?〟

などとセンセーショナルな記事が、時々新聞に出ているのだ。もしや、あの噂話は本当だったのか? 香村は、若山洋子と深い仲だったのではないか? それが何かの事情であのような事件を……、そう考えれば、疑惑は際限なく膨張するのだ。

そういう目で見ると、やはり、香村刑事は元気がない、と見えるのだ。決して自分の思い過ごしではあるまい。彼はすでに自然と捜査活動から離脱しつつある。

だからと言ってそれが起因とは思えない。香村刑事の名前を呼んでも、すぐに返事がない。もの思いに沈んでいる。もともと言葉数が多い方ではないが、それにしても静かすぎる、と沖田には思われた。

「香村さん、何だか元気がないみたいだが……」

とそれとなく聞くと、

「……いや、別に……、ただ、殺しがあまりに近所だったからね……」

とそれだけしか答えない。かと言って、自分が香村刑事の家を訪ねるのはどうかと思う。が、香村良平の様子をじっくり見ると、彼と若山洋子とは、単に犬がとりもった関係ではなかったような気がする。

でも、事件とどう関わりがあるのか? もし、彼が手を下していたとするなら、彼の落着きようはどう理解したらいいのだろう。