謎が謎を呼ぶ、長編ファンタジー小説、前編。
就職を機に上京した橘子は良き先輩社員に恵まれ、
消息不明だった幼馴染・清躬との再会も果たす。
一方、清躬の戀人・紀理子は忽然と姿を消す。
そして、橘子も謎の屋敷の者たちによって危機に陥る。
「希望は蜘蛛の糸に過ぎない」と言われた橘子だったが――
清躬くん、ていいですね
「清躬さんは昔から優しいひとだったんですね」
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棟方さんが微笑みながら言った。
橘子は、「ええ」と答えた。もっと具体的に答えたかったが、清躬のことにおもいを馳(は)せているうちにおもわず呟(つぶや)きが出た。
「なつかしいなあ、清躬くん」
言ってしまってから、戀人の前でそんなことを口に出したのが恥ずかしくなった。
「御免なさい」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
橘子は惚(とぼ)けた。しかし、迂闊(うかつ)な物言いはなかったことにはならなかった。
「いいですね。昔の清躬さんを御存じなんて羨(うらや)ましい」
戀人から羨ましいと言われてしまって、橘子は困惑した。
「羨ましいなんて──私、唯の小学校時代の友達で……」
かれと今つきあっているあなたのほうがずっと羨ましいじゃないですか──そんなことを後には続けられなかった。自分も羨ましがったら、かの女のライバルになってしまう。
「小学校も五年生の時と六年生の途中までだけ。ほんの一年くらいよ」
橘子は自己弁護するように言った。
「でも、なかよしだったんでしょう?」
まさか嫉妬(しっと)? 私に? 子供の時のなかよしになぜ今の戀人が嫉妬するの? 突っ込まれて、答えをかえさないのはまずいとおもいながらも、いつのまに自分が当事者に入れられてしまったのか納得がゆかず、橘子は言葉を失った。
そして唯、怪訝(けげん)な眼で相手を見上げるだけだった。
「清躬くん、ていいですね」
棟方さんがぽつりと言った。その言い方はとても素直にきこえた。そして、その言葉は、橘子が妙な感情をまじえてとらえた先の発言とあまり間をおいていなかったので、自分が意味を取り違えしていたことに気づいた。
棟方さんは別に橘子にねたみの感情を懐(いだ)いているのではなく、未だに親しく呼べる清躬との距離感を純粋に羨ましく感じているだけなのだろうとおもえた。
【相生 上 登場人物】
檍原橘子 20歳。地方の短大を出て就職で上京。
檍原清躬 20歳。橘子の幼馴染。特殊な絵の才能の持ち主。
清躬の父
清躬の母
棟方紀理子 20歳。大学生。清躬の戀こい人びとだが、別離した。
津島さん棟方家のメイド。
小鳥井和華子 橘子、清躬の小学校時代の憬あこがれのおねえさん。
和歌木先生 清躬の小学校四年生の時の担任の先生。
杵島紗依里 一時期、清躬の親がわりとなった女性。
鳥上海祢子 橘子の職場の先輩(教育指導係)。
緋之川鐵仁 橘子の職場の先輩。
松柏さん 緋之川の戀人。
寮監さん夫妻 橘子の住む寮の管理人夫妻。
会社の健康管理室の看護師
小稲羽鳴海(ナルちゃん)9歳。清躬となかよしの利発な子。
小稲羽梓紗 鳴海の母。同居はしていないが、神麗守の母でもある。
和邇青年の想い人 梓紗の母。和邇の青年時代に戀い憬れたひと。
神麗守(小稲羽神陽農) 15歳。和邇家で養育されている。
紅麗緒 15歳。神麗守と一緒にくらしている。
和邇のおじさん 資産家。東京に大きな屋敷を構えている。
根雨詩真音(ネマ) 20歳。大学生。彪のグループメンバー。詩真音の母和邇家の家政を担当。
隠綺梛藝佐 23歳。和邇家で、神麗守、紅麗緒の養育を担当。梛藝佐の姉医大を出て、病院勤務。和邇家の主治医。
和多のおじさん、おばさん 和邇の元部下。建設会社などを経営。
楠石のおじさん、おばさん 和邇家の車まわりや庭の手入れを担当。
稲倉のおじさん、おばさん 和邇家の賄を担当。
香納美(ノカ) 20歳。稲倉夫妻の子。大学生。彪のグループメンバー。
柘植くん 香納美の戀人。彪のグループメンバー。
神上彪 詩真音から「にいさん」と呼ばれている。
桁木紡羽 彪のグループメンバー。伝説の武道家の娘。
烏栖埜美箏 彪のグループメンバー。扮装の名人。