イオリはとても冷静にはなれない

捜索三日目の金曜日。本来は朝から行くはずだった武蔵山脈。母・明純が前夜から喘息発作が起き、イオリは朝一番で、明純の車を運転して、病院に連れて来ていた。

兄・ヒョウゴはとっくに父・良典と合流し、すでに武蔵山脈に着いているに違いない。いや、俺が先に来た理由。前日入りしたのは、たぶんこのためだった。明純を病院に連れて行くため。

「ごめんね。私につきあわせて」

「病人を一人で、しかも自分で運転させて、武蔵山脈に来させられないでしょう」

「……ありがとう」

明純の話だと実名報道がされた水曜日の朝方三時過ぎ、父母に「報道してよいか」と確認する電話が、緑区の緑警察署から一応、あったらしい。ほとんど夢の中の父母に。

さらに、報道されたことがわかった捜索二日目の木曜日、母は武蔵警察署の坂崎という警察官に電話し、「報道してよい、と言ってしまいましたが、本人がまだ生きているかもしれないのに、車のナンバー大写しは個人情報として問題はないのでしょうか」と問いかけた。坂崎は「それはテレビ局に言ってください」と答えた。「報道の自由ですか?」明純の言葉に、坂崎はあいまいに相槌を打ったらしい。問題は最初の警察発表にあって、「報道してよいか」の深い内容説明もなく、息子がいなくなって憔悴しきっている老夫婦は、何の抵抗もできなかったのではないか。

「新聞にも住所も職業も年齢も載ってるし。まだ亡くなってないのに、情報保護はどうなってるのよ!」

母よ、SNSもだ。携帯で検索して、勤めている病院中の人がわかるくらいにな。

今日は捜索三日目の金曜日。炎天下の武蔵山脈に十一時くらいに到着。日陰らしい日陰もない。明純は「毘紐天」の駐車場と言っていたが、サクラの車はそれよりずっと手前の鬼塚にあった。「鬼塚」駐車場で兄・ヒョウゴと父・良典に会う。同じ関東圏に勤めていても、なかなか会うことはない兄弟。

昨日までにほぼ登山道を歩いたとのことで、昼過ぎには坂崎から打ち切りを告げられた。坂崎に挨拶するとともに頭を下げる。

「今日、来たばかりなんで、申し訳ないのですが経緯をお話しいただけませんか」

坂崎はヒョウゴとイオリを交互に見ると、首を何度か縦にふった。

ご両親には繰り返しになりますが、と前置きして説明に入る。サクラの登山計画書では、

「毘紐天→火口→青田岳→虎岳→追分→きつね温泉跡→鬼塚→毘紐天」

となっている。ところが、アプリでダウンロードしたであろうこのコースは、追分らきつね温泉跡に行く登山道が立ち入り禁止となっていて、三年前の武蔵山脈噴火危険区域となってから一度も草を刈ってないので、全く登山道が見えない状態、草木が生い茂るままとなっていた。当日火曜日追分で看板を立てる作業をする委託業者が、サクラらしき人物と行き合っている。杜都市から来た、鬼塚に戻りたい、と言っていたと。その業者の話によると、一度立ち入り禁止区域に入ったがすぐ戻ってきて座って昼食を摂っていたのが十一時頃。立ち入り禁止で進めないから、竹谷温泉から帰ったらどうか、とアドバイスしたという。サクラの登山計画書では、追分から鬼塚までは二時間半。もし竹谷温泉コースに変えると温泉までは登山道だが、その後自動車道となり、かなりの遠回りで追分から四時間半かかることになる。その業者は、サクラらしき人物がどちらのコースに行ったかまでは、わからない、とのことだった。