海賊編

「船が着いたぞなー」、遠くから声が聞こえる。

皆いっせいに窓際に駆け寄った。外には、真っ蒼な空と、群青色の海が広がっている。

館から一望出来る港はさしたる大きさもなく、普段ちらほらとしかいない漁舟よりはよほど大きな商船が一隻入っただけで、すっかり塞がってしまったように見える。

「姫様、三太夫の船が参りよんよ」、幼い頃から千代姫の面倒を見てきたお春が、見れば分かることを言う。

既に荷卸しが始まっており、木箱やら俵やらを運び出す人足や、港番の侍や、見物の者たちが集まっている。

「父上様、見に行ってきてええじゃね?」千代が声をはずませて問うと、領主の吉田悠堂は苦笑いをしてうなずいた。千代はお春を伴って、駆け足で出て行った。

戦国の世と言われて既に久しかったが、温和な土地柄と山がちな地形もあって、この伊予あたりではまだ殺伐とした大きな戦はなく、悠堂も娘にたいそう甘かったため、千代はのびのびと育てられてきた。

館は、宇和島の海を西に望む高台から、海沿いの道を塞ぐように張り出しており、関所を兼ねている。

道に降りて、北に数町も行くと、左手は吉田の港となっており、港の奥には小さな郷が広がっている。

船の傍で指図していた三太夫は、姫を見かけると目を細めて言った。「これは千代様、わざわざお越しくださりまして、恐れ入ります。こんたびは、特別なおみやげがありますよ」

千代は子供の頃から、恰幅がよく恵比須顔の三太夫がお気に入りだった。三太夫の方も、利発で、一円の領主の娘とは思えない気安さの千代姫に、時々ちょっとした品物を持ってきてくれるのだった。

三太夫は、博多を拠点にする商人だが、このあたりの出身であり、博多と南伊予の諸領主との海運を主な商売にしていた。

「なんぞなもし、おみやげて?」

「えへへ、晩にお館に伺いますけん、そん時に差し上げますよ」

その晩、館では三太夫を囲んでの夕餉となった。商人だから下に見るという時代でもなく、むしろ、吉田家にとっては、米や産物の交換に応じ、また諸国の情報をもたらしてくれる三太夫は、商業・外交の最重要人物の一人であった。三太夫にとっても、得意先であり、求めれば警護の兵を出してくれる故郷の領主との関係は重要で、持ちつ持たれつである。

食事には、悠堂と正室の初の方、千代姫、それから主だった家臣が何人か加わったが、話をするのはもっぱら三太夫の役回りである。三太夫は「大内の大殿様が、出雲の尼子との戦で大勝したそうです」「今出川大納言が山口にいらしたそうです」など、ひとしきり山口や博多の情勢を話した。大内氏は六カ国守護として西国一円の最大勢力であり、その本拠地である山口は、応仁の乱で荒れた後もたびたび戦の舞台となった都から多くの公家が逃れ来て住み、今や西の京と呼ばれていた。また博多は、この頃では堺を凌ぐ一大商業都市で、要するに、三太夫の話は、世間の動きとして西国の地方領主が知っておくべき内容を網羅していた。

三太夫の報告が終わると、家老格の植木左馬助が、「今年の蜜柑は、良い出来ぞな」と言った。吉田領では近年蜜柑の栽培を始めており、いまや目玉商品となりつつあった。悠堂は「食べてみるのが一番じゃろ」、

早速今年の初物を持ってこさせた。皆と一緒に甘酸っぱい蜜柑に舌鼓を打ちながら、左馬助と三太夫は、「これなら一斤なんぼにはなるぞな」「いやいや、こんぐらいでは」、などと値段の話をしている。

食事もお開きという時に、三太夫は、もったいぶって、桐の小箱を取り出した。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『東方今昔奇譚』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。