最後まで住み続けられる住環境とは?

最後まで住み続けられるには医療、看護、介護の支えが身近にあるのは必須条件です。ここではそれ以外の最後の住まいとして長く住み続けられる、あるいは住んでいたい環境の構築についてご紹介します。

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高齢者の中でもとりわけ、疾病や障害を患い、余生を過ごさなくてはならない方々を年余に渡り、住んでいただく集合住宅の住環境はどうしたらいいのでしょう?

私は自分の旅の経験、放浪の体験から人や自然と触れ合えること、一方で一人でゆっくり思索できる空間が非常に大事だと考えました。老いて、体が効かなくなっても頭は動きます。私にとって思索ができる環境とは、自然の中でゆっくり過ごせること、一人になれる空間のあることでした。

海外生活中に医療のこと、介護のこと、これからの人生のことなど、いまに続く多くのアイデアを確立したのは自然散策であったり、一人でアパートの図書室に閉じこもったりした時間だったのです。

他方で、孤独を紛らわせる人的交流を保てることも必須です。お互いの考えを交わらせる社交が保てないとつまらないです。社交は面倒である一方で、人が人らしくあるためには必要です。ですので、社交が生まれる空間と逃げられる空間。その二つが必要です。そんな住まいを自分なら希望します。歳をとって一人ぼっちは淋しいです。我ながら、面倒臭い人間ですね。

在宅介護が盛んだとされるスウェーデンでも、介護される側の本音は必ずしも在宅一辺倒ではありません。ダーラナ地方を旅した時に、お世話になったチュルさんと老人ホームの話をした際のこと。チュルさんは年老いた独居の親御さんを時々訪問してお世話をしていました。「この頃は本当に施設入所ができなくなった。いよいよ動けなくなるまで入れてもらえないんだ。身寄りが誰もいなくなった自宅に一人で住むって寂しいもんだよ」

慣れ親しんだ家に住まい続けるって理想のように思っていました。けれど、「慣れ親しんだ家」「我が家」の環境ってのは家族がいてこそなんですね。慣れ親しんだ空間だけが残っていてもそれはもはや「我が家」の幻影。そこに一人住んでも寂しさだけが募るものだと思います。それでもまだ、慣れ親しんだご近所さんとの関係が強ければ「我が家」の環境は保たれます。それが希薄になった時、新しい家族ないしご近所さんを求めて住みかえるのは悪くないと思います。その際に継続性も大事ですから、使い慣れた家財を持っていくと馴染みやすいです。

私の考えをさらに補強、発展させてくれるブログ記事がありました。サ高住「美しが丘」の設計にあたり、これを大いに参考にさせていただきました。ネット時代は便利ですね。

東京電機大学未来科学部建築学科山田あすか先生の2009年7月22日の記事「住環境を考える 認知症を持つお年寄りをたすける生活環境のあり方」(1)は認知症の方のみならず、人生の最終章に入られた方全てに役に立つように思います。そこに私の考えを織り交ぜていきました。ここでは記事を引用しつつ、私の住宅ではどのように対策を講じたかについて、紹介します。