それが初めて顕在化したのは、幼稚園年長組で動物園に遠足に行った日のことである。

その日、母は風邪をひいて高熱を出していた。なんとか起き出してきて大好きな稲荷と太巻きのお弁当は作ってくれたものの、私に付き添って動物園を歩き回れるような体調ではなかった。

それで母の代わりにまりえ叔母が一緒に来てくれたのだが、あれほど乗りたかったライオンバスも、ゴリラ園も……何一つとして楽しくない。

しかもあちこち歩き回ったというのに、お弁当を広げても食欲が全くわいてこないのだ。大好きな稲荷のはずなのに箸を持とうとするとドキドキ激しい動悸がして手も震えてきて、冷や汗が何筋も背中を流れはじめ、しまいには喉の入口がシャッターで塞がれてしまったような恐怖感に襲われた。

結局、私はお弁当を一口も食べられなかった。帰宅後、弁当箱を開けて不安げな表情を浮かべた母に、私はこんな嘘をついた。

「なんか朝から気持ち悪かったんだよ。僕もママの風邪がうつったのかな。ごめんなさい」

ママがそばにいなかったから、怖くて寂しくて……などと本音を言ったら、心配性の母の風邪がますます悪化してしまうかも。咄嗟に私の小さな脳みそは、そんな計算をしたのだと思う。

それからも、私の臆病化はどんどん進んでいく。

ある日突然、ソフトボールで遊ぶのが大嫌いになった。きっかけは、園庭で男子が二チームに分かれてソフトボールをやっていたとき、友達が投げてきたボールをキャッチしそこない、額に当てて大きなたんこぶを作ってしまったことだ。

別にそれほど球速があったわけではないのに、なぜかそのとき私には物凄い豪速球が顔目掛けて飛んできたように見えた。

恐怖のあまり身体が固まってしまい、思うようにグラブをつけた左手が動かせず、気付いたときには「痛い!」と声を出してその場にうずくまっていた。

それを見た友達からは笑われ、からかわれ、以後誰からもソフトボールに誘われなくなった。その報告を保育士さんから受けたとき母は、「私に似て運動神経がないのだから仕方がないわね」と気にも留めない様子だった。

しかしこの出来事は私のトラウマとなる。

以後、ドッジボール、バスケットボールといったボール遊びから逃げまくったことが、幼稚園時代の苦い思い出として記憶の片隅に残っている。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『 守護霊塾』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。