田島も苦笑して応えた。

「むう……きみになら教えてもいいが、その前に一つ訊いてもいいかな?」

「は、何なりと……」

「むん……では訊くが。もし今夜これから、首相官邸に斬り込むといったら、もちろん、きみも一緒に来てくれるだろうな?」

「今さら何でありますか。もちろん今夜でも構いませんが、ということは、いよいよそういうことに決したということですか……そうですか、それは結構ですね。私は文章も書けませんし、大した人間ではありませんが、いつでも死ぬる覚悟だけはできておりますので、喜んでお供します」

と、栗原は目を輝かせた。

「そうか、それは結構……だが、きみがそういう覚悟でいるなら、今日のところは何も聞かないほうがいいだろう。聞けばがっかりするだけだからね」

「は……それはどういう意味でありますか?」

「私が体調をくずしたのは、きみが考えているようなことではなく、むしろ、その真逆のことをするためなんだが、私としても、きみのがっかりする顔は見たくないし、それに、今は、その件で、きみとここで議論をしているヒマもないからね」

「とんでもない。中尉殿と議論するなど、私にどうしてそんなことができますか。中尉殿が何をなさろうと、たとえそれが、私ごときが口を挟むようなことでなくとも、それを聞いてがっかりするようなことは断じてありません。それに、たとえがっかりするようなことであっても、『蚊帳(かや)の外』におかれるよりはずっとましです」

と、栗原は気色(けしき)ばんだ。田島は、山内大尉にチラと目をやった。

「人の気持ちとは、そういうものだよ」

と、山内大尉は笑った。田島も苦笑し、栗原に目をもどした。

「きみがそこまでいうなら話してもいいが……そのまえに、ドアを閉めてくれないか」

「あれっ、だれが開けたんだろう」

と、栗原は腰に吊るしたサーベルを左手でおさえて踵を返し、舞い戻った。

間もなく九時、栗原少尉がここへ来たのは、日夕点呼の準備ができたことを山内大尉に報告するためであることはもちろん、サーベルを吊るしていることからも、今夜は彼が、その補佐をする当番であることも分かった。で、田島は柱時計をわざとらしく見上げていった。

「そろそろ点呼の時刻だが、いいのかな? この話は、軽々しくできることではないし、また後日、腰を据えて話したほうがいいのじゃないかな?」

「いえ、日夕点呼が少々遅れたからといって、国家の大事に関わることではありませんし、それより何より、国家改造を第一と考えるべきが我々の使命であると思いますので」

「どちらを第一と考えるかは、大尉殿が判断されることじゃないのかな」

と、田島は笑った。栗原は、また大尉に目をやり大真面目な顔で訊いた。

「大尉殿。我々の使命と、日夕点呼は、どちらを第一に考えるべきでありますか?」

「そいつはまた、国家改造と軍紀のどちらを第一に考えるかという、『軍人勅諭』にも抵触しかねない難しい問題でもあるが……そうだな、ここへきみが来合わせたのも天の配剤、どちらを第一とするか簡単には決められないが、まあ今日のところは、どちらの名分(めいぶん)も立つようになるべく手短にな」

と、山内大尉は笑い、田島を見た。田島も笑って、栗原に目をもどした。

「では、くどいようだが聞いてがっかりしないでくれよ……十月事件以降、士候等の動向が日に日に活発になっていることは きみも知っているな?」

「は、存じております。西田さんはじめ安藤中尉殿も、それを非常に心配されています……彼等が、独断で突出するのではないかと」

「むう……じつはその心配が、いよいよ現実になりそうなんだ」

栗原の目が、田島と山内大尉のあいだを忙しく往復した。

「ほんとうですか? で、何時、何をやるつもりですか?」

「それを知っているのは、今のところは大尉殿と私と、それに村中中尉の三人だけだが、これは、絶対に他言しないと約束してくれるか……西田さんにもだ」

「西田さんにもですか?」

「ああ、西田さんには特にだ……あるいは、きみもすでにある程度は察しているかもしれないが、最近の西田さんの言動や暮らし振りには、少々腑に落ちないところがあるし、これはまだここだけの話にしておきたいんだ」

「はっ、分かりました! 他言はしません……この刀にかけても」

というがはやいか、栗原はサーベルを目高に捧げ、大真面目で金打(きんちょう)をしてみせた。

田島もそれに応え、大真面目に頷いた。

「むん、では話すが、決行は一週間後の、十六日の月曜日の夕刻。第一目標は、首相官邸だ……顔ぶれは四十四期生の後藤くんら十名ほどで、彼等は国家改造の魁として、捨石となって散る覚悟だ」

「捨石ですか? クーデターではないんですか?」

と栗原は、拍子抜けしたように目を瞬(しばたた)いた。

「そうだ……だが、そんな捨石になるためだけの独断専行で、帝都東京を、いや、日本中を大混乱に陥れるようなことをされたら、《桜会》の二の舞は必定だ。

したがって、今はもう、その是非を論じている時ではなく、それに如何に対応するかを考えなければならないが、とるべき道は二つしかない。それを機に私たちも、共に決起するか。もしくは彼等を犬死させないためにも、何としてでも阻止するかだが、何れにしても、これはまだここだけの話だ」

栗原は声もなく頷いた。田島は真顔で、さらにたたみかけた。

「しかし私たちの結束も、残念ながらいまだ一枚岩といえるほどには至ってない。

したがって、一斉蜂起の準備も何一つできていない。無論それは、直接行動は極力避け、穏便に国家改造を成就すべく努めてきたためでもあるが、それをあと一週間で百八十度方向転換するというのは、全国各地の同志が、その準備を整えること一つをとっても無理な話だ。となれば、彼等の無謀な独断専行を阻止するしかないが……どうかな、すこしはがっかりしたかな?」

「いえ、まことにご尤もな話です。そういうことであれば、及ばずながら、私もできるかぎりのことをいたします。いま大尉殿もいわれたましたように、ここで中尉殿とお会いしたのは、それが私に下された天命だからに違いありませんので」
と、栗原は胸を張った。

田島は苦笑した。

「天命ね。しかしそれは、『天道是か非か』というように、時に人知を超えた冷酷非情なもので、あるいは人の道に反するようなことであるかもしれないが……たとえば、きみも、幕末の京都伏見(ふしみ)での、『寺田屋騒動』というのを知っていると思うが。倒幕を急ぐ急進派の薩摩藩士八名を、同じ薩摩藩の、時期尚早とする主流派の藩士が斬って粛清した事件だが」

栗原は、ゴクリと生唾を呑み込むように頷いた。

「ええ、もちろん存じておりますが……ですが、まさか?」

「もちろん そんなことは考えていないさ……だが、いざとなれば憲兵隊に密告するぐらいのことはしなければならないと考えている。彼等を犬死させないためにもね。

しかし、問題はその時機だが、早すぎてもいけないし、かといって手遅れになったら万事休すだ。だからこの件は、大尉殿にもお願いしたのだが、きみも何も聞かなかったことにして、私にすべて任せてもらいたいのだが……どうかな?」

「はっ、よく分かりました……ですが今フト閃いたんですが、士候等が帰校するのは、たしか十四日の土曜日でしたね?」

「そうだが……」

「でしたら、中尉殿が体調をくずされて急遽帰国されたのとは逆に、士候等のなかに脳髄膜炎かチフスにでも感染した疑いのある者が出たので、念のため、全員検査をするとか何とか適当な口実をもうけて 帰国を二、三日延期すれば、問題は一挙解決ではないかと思いますが……」

と、栗原は目を輝かせた。

「なるほど、きみの閃きも、なかなかだな。しかし、二、三日はそれでいいとしても、彼等を永久に満州に足止めしておくことはできないからな……だが、諸葛孔明なみの、その足封じの計も頭に入れておこう」

「なるほど。『環連(かんれん)の計』ならぬ、『感染の計』というわけだな」

と大尉は、連環を環連とひっくり返して笑った。

「いえ、中尉殿のいわれる通りです。この私が、頭を使うこと自体間違いでした」

と、栗原は自分の額をピシャリと叩いて笑った。それを機に、山内大尉が話に区切りをつけるように腰を上げていった。

「では、軍紀を疎(おろそ)かにすることもできないし、私は田島くんを正門まで送っていくから、きみは先に兵舎へ行って待っててくれないか」

同時に柱時計の鐘が九時を打ちはじめ、日夕点呼を告げるラッパが営庭に響き渡った。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『泣いてチャップリン』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。