さて、祇王って誰? 王って字が付くから偉い人? と思う人も多いのではないか。日本史や古文で、祇王の出題率は極端に低いと思われる。ゆえに、学生時代に勉強して、知る機会がなかったとしても仕方がない。

祇王やこの寺の由来を簡単に説明すると次のようになる。

時は、平安時代も末。平家バブルの頃。イケイケの極みにあった平清盛は、都でオリコン一位の白拍子(歌って踊れる遊女)の祇王を自邸に住まわせ独占した。この時、アイドルを奪われた男たちの怨嗟の声が都中に満ち満ちていたという。

ある日、仏御前という白拍子が、清盛へ舞をお目にかけたいと申し出てきた。清盛は「アポなしでやって来て、会いたいなんて、頭ヤバくね。オレって、そんなに軽く見られているの」と追い払おうとしたが、祇王のとりなしで、仏御前の清盛への目通りが叶った。皮肉にも、この日を境に清盛の寵愛は祇王から、仏御前に移った。

清盛邸を出されることとなった祇王は、命を断つことも考えたが、妹・祇女、母・刀自と共に出家し、この地に隠棲する。

母子で念仏三昧に明け暮れていたある日、草庵を訪ねる者がいた。仏御前である。祇王の不幸を見て、世の無常を感じた仏御前は、出家して尼の姿になっていた。そして、一緒に暮らしたいと懇願した。

その後、四人は共に暮らし、仏道に励み、往生の本懐を遂げたという。その草庵があった地に祇王寺がある。

祇王が零落する原因となった仏御前に向けた嫉妬、怨恨、侮蔑の業火の激しさ。如何ばかりだったろう。しかし、仏御前が祇王と同じ位置まで降りてきたことで業火も鎮まり、ハウスシェアの先駆者たりえたのではないか。

草庵の仏間に、祇王・祇女・刀自・仏御前の木像が安置されている。そして、清盛の木像は、柱の陰に隠れるように置かれており、正面からは見え辛くなっている。罰ゲーム?

とにかく、庭園の苔が見事である。極上のペルシャ絨毯のようなフカフカした厚み。裸足で、その上を歩くと、どんな心地がするのだろう。試してみたい。

紅葉や苔は、祇王の心情を象徴しているようだ。紅葉の赤は身を焦がす仏御前への嫉妬、苔の緑は念仏三昧で訪れた心の平穏。と、いった具合に。

十重二十重に庭園を取り囲んだ観光客がカメラを向けている。これはもう不祥事を起こした芸能人の謝罪会見の現場だ。

観光客は、この寺の持つ悲恋の歴史、その感慨に耽ることなく、紅葉と苔の写真を撮ることに専念している。

何だか、もったいないような……。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『サラリーマン漫遊記 センチメートル・ジャーニー』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。