ふと気が付くと薄暗い部屋で、自分がベッドに対して垂直に立っていて今にも前に倒れるようで声をあげた。足元には小さい木でできたガラスのない窓が見えた。自分の他には誰の姿も見えなかった。

「どうした、大丈夫か。かなり熱いな」

ベッドのすぐ脇から父の声がし我に返った。仰向けになっている自分に気づき、足元に見えた窓は床に近い通気口であることが分かった。頭に手を当てながら父はそう言うとナースコールを押して

「ちょっと熱があるみたいだけど、診てもらえますか」

看護師さんがすぐに来てくれ、脇の下に体温計を挟んでくれた。

「四十度近くありますね。今すぐ氷枕を持って来ます」

と急いで病室を出て行った。

この後、四日ほど熱のある状態が続いた。その上痰が切れず、魘(うな)されることも多かったようである。昼も夜も父や小野塚たちは胸を擦ってくれていた。やめると凄く怒ったらしい。

ちょうどその頃、札幌から一日二時間程度見舞いに来てくれた女性がいた。スキー部の一年後輩で足立百合子さんだった。病室にいてくれていた二時間は殆ど同じようにタオルで胸を擦ってくれた。

「ありがとう、足立。すまんな」

「いいですよ先輩。それより早く治ってくださいね」

「分かった。頑張るよ」

その頃、熱による苦しさと痰の詰まる息苦しさ、見えないものが見える恐怖心などで言いようのない辛さのはずなのに、意識にのぼらない無の世界に浸っているような時間に思えたときもあった気がする。

「克彦、克彦」

どれくらい経ったか、聞き覚えのある声が耳介に届いた。三人の兄が目の前にいた。家族が全員揃うとはやばいのかなーと思わずにはいられなかった。