2学期の終わりに差し掛かる頃、一人の女子生徒が、後1回の遅刻でも留年が決まる、というところ­まで追い込まれていた。登校してきた時には、普通に授業に参加しており、そうひどくヤンキーに見え­ない感じがしていたが、他校の男子生徒との交際がそうさせているらしい、とのことだった。

­無論、後1回の遅刻でも留年になるという状況は伝え、注意・指導していたのだが、­12­月の終業式が差し迫った頃、とうとう遅刻してしまった。

教室の前の扉から入ってきて、教壇にいる私に近づき、悪­びれず「遅れました」と言い、席に着いた。­私は、とんでもなく気が沈んだような感じでいたが、授業を進めないわけにはいかず、重苦しいまま­教壇に立っていた。

­30­年を過ぎて「時効」と思いたいのだが、出席簿には遅刻の印を付けずにいた。というか、付けられ­なかったというのが本当のところかもしれない。

講師である私が、そこに遅刻の印を付けるだけで、そ­の子の留年が決まる、という現実から逃避したのだ。­それによって、とりあえず2学期末での留年決定にはならなかったが、結局、3学期に欠席をし、留­年が決まったところで中途退学した、とのことだった。­

どうにも導いてやれなかった、という無力感が残ったが、その後の人生が幸せなものであってくれよ、­と祈ることしかできなかった。­

実はもう1事例、こちらもすでに「時効」ということにして、改竄を目にしたことがあった。3年生­の体育の成績が書き換えられていたのだ。­

その生徒は、体育大学の推薦受験をすることになっていた。柔道部員で、かなり強い上、主将を務め­ていた。しかし、残念なことに、バレーボールを大の苦手としていた。基礎的な技術もままならず、ゲー­ムでも活躍する場面は見られなかった。

ただし、手を抜くことは全くなく、苦手な種目ながらも、一生懸命に取り組んでいた。­この学期の成績はというと、5段階で3だった。どうにも8割以上はできたという評価を与えること­ができず、正当な評定ではあったと思う。

­4カ月の講師を終え、2学期の成績・出欠などの整理をしていると、この生徒の評定が5になっていた。

­後々になって聞くと、無事に推薦で体育大学に合格した、とのことだった。

­きっとバレーボールの授業では苦労しただろうが、4年間の大学生活を謳歌し、立派な社会人になっ­ていることを願うばかりである。­

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『教育現場の光と闇~学校も所詮〔白い巨塔〕~』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。