一人の見知らぬ少女が用水の上流で雑木と雑草の間の平坦になっていた堤に近づいてしまったことにだれも気づかないちょっとした隙に、誤ってそこから滑り落ち、水流に吸い込まれるように押し流され、滝つぼのなかで死体となって発見されたのだった。

子供を亡くした母親のあの悲痛な叫び声が今なお耳に残っている。

それは幼かった私にとってはあまりにも悲惨な出来事だった。

私が夢の中で会った少女は間違いなくその少女だった。

あれからすでに二十数年も過ぎた今、どうして夢で再び彼女とめぐり合うことになったのか、自分でも分からない。

だが、もし自分がその立場にあったならいったいどうなっていただろうか、たまたま彼女だったのかも知れない、当時、私は幼いながらずっとそのことを考えていたことがあった。

そしてあの事故が起きてから今までに私は何度かそのことを思い出していた。

しばらくして私はあらためて自分自身にとって、掛け替えのないとても大事な時間を夢の中で彼女と共有していたことに気づいた。

自ら死を選んだ訳ではなく、幼くしてたまたまある不条理な偶然によって生を絶たれたというだけで、その後のすべての外の世界と決別することになってしまった彼女は、その限りある時間の中で、私を夢に誘い、私のために、私たちだけの世界を作ってくれたのである。

さらにそれは彼女が最後に自分自身の姿を小さな花に変えて、一瞬の光と闇の内に、人の命の大切さを私に示すためだったのだ。

彼女は閉ざされた内なる世界に戻って行く、そして私自身は夢から覚めて、開かれた外の世界に向って行く、その狭間で彼女は恰も命を落とした者だけが生と死の確かな意味を知っているのだ、と伝えようとしていたに違いない。

私は常に死と隣り合わせにいるにもかかわらず、与えられた時間の中で、今、この瞬間、この世界で、このように生きているたった一つの命に、自分は支えられているのだ、と私はあらためて気づかされたからだ。

そして、自分の未来がどのようになるにせよ、それは確実に目の前にあるのだ、と私は確信できた。さらに、私はこの与えられた未来をどう生きていくべきか、自分自身が問われていたように思えてならなかった。

したがってそれは彼女自身が私のこころに刻みこもうとした、未来への限りない生へのメッセージだと思った。しかもそれは恐れ多いことかもしれないが、私だけではなく、私たち、今を生きるすべての人々に伝えるべきことのように思えてならなかった。

人は時として敢えてそのことを忘れ、気づこうとしないからだ。だからこそ、あの夢は私に託した彼女のもうひとつの願いだったのかもしれない、と私は思った。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『私の生きる意味』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。