明らかにからかっている。どこまでも嫌みな男だ。耳についているピアスはCZ(キュービック・ジルコニア)だし、指輪はプラチナではなくてシルバー。私がそう正直に伝えると、

「見ればわかるよ、そんなの」

とでも言いたげな表情で笑った。

「君は舌にピアスしてる?」

とBからの新たな質問。

「してない」

「俺、前してたんだ。でも、もう取っちまった」

「なんで?」

「メシぐらいおいしく食いてーじゃん(enjoy my food)」。

舌にピアスをしていると、痛さのあまり食事どころではないという話はよく聞く。

時間に縛られない自由な感じ。このような感覚は日本にいるとなかなか味わえない。ここには確かに、Hoodの時間が流れている。

「ジャッキー・チェーンとかブルース・リーって日本人だろ?」

「違うよ」

「えっ? じゃあ、ラッセル・シモンズのWifeは?」

「日本人じゃないよ」

「マジで? じゃあ、日本人って誰が有名なんだよ?」

私はメジャー・リーグの選手の名前を何人か挙げてみたが、残念ながらあまり興味がないようである。

そのときだ。自称レイシストではない彼が一人の少年を見てこう言った。

「オイ、見ろよ。あいつ日本人だぜ。このプロジェクトに住んでんだ。話しかけてくれば?」。

同じ人種同士、仲良くしろということか。だが、私にはその少年が日本人ではないことはわかる。

「あの子は、日本人じゃないよ」

「日本人さ」

「違うよ」

「でも、アジア人だぜ。声かけてこいよ」。

私はこの男の言うことを無視した。ニューヨーク、ハーレム出身の黒人の男であり、このHoodを牛耳るギャングスタである自分が、アジア人の女性と一緒にいるということが我慢ならないのだろうか。

Blackism(ブラックイズム)なる彼の美学に反するのだろうか。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『HOOD 私たちの居場所 音と言葉の中にあるアイデンティティ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。