イオリはとても冷静にはなれない

岬伊織は杜都市緑区にある野沢呼吸器科で、母・明純の点滴が終わるのを待っていた。

明純の持病となった気管支喘息は、十五年前に突然発症した。兄・ヒョウゴが東京の大学に行ってから入社した会社はフルタイムで毎日残業があり、サブロク協定ぎりぎりだった。当時四十代も半ばの明純には、時計の針が午前零時を回る残業はきつかったに違いない。また、もともと軽い花粉症を二十代から発症していたが、その会社での最初の二年間で全身湿疹から、夜中に三時間以上続く咳と、アレルギーが原因の病気が次々と襲い、最後に風邪を引いて熱を出したのがキッカケで大人の喘息を発症した。

一年半前の冬、酸素吸入しても正常に戻らない明純を、三日三晩付き添って看病したのは、弟のサクラだったと聞いた。命の危機にさらされたらしい。それでも、サクラに何もかも任せっきりで、今まで何もしてきていない。持病を数えると七つ以上あって、時々自分で病名を忘れると笑っていた母。それに目を背けていた自分が痛かった。

 

火曜日にサクラが武蔵山脈から帰らず、水曜日の朝に明純から連絡をもらった時、その日から新聞・テレビのローカルニュースになり、さらにSNSでは全国にそのニュースが拡散された。

イオリの勤める大学病院でも「杜都市に帰らなくて良いのか」と何人にも言われた。「帰っても何もできないから」と、当初笑っていたイオリだったが、捜索一日目にみつからず、二日目木曜日に見つからなかった時、「岬家」のメッセージに兄ヒョウゴから「明日帰る」と入った。そうだよな。イオリはすぐに上長に相談し自分も休みを取ったが、上長から「いつ言いだすかと、待っていたよ。行って来なさい」と言われた。そのまま、妻・晶那に連絡し、父・良典に電話した。

「俺、今日の新幹線で行くから。杜都駅に着くのは二十三時過ぎるから、迎えに来なくていい。自分で帰れる」

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『駒草 ―コマクサ―』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。