私は当初こそリーダーと呼べるような人物に付き添う形で、山を歩いていました。ですが、特に職場の登山サークルが解散する前後を境に、自分で計画し、単独での登山が増えた気がします。ツアー登山に参加したり頼ったりしたことは、一度たりともありません。

屋久島の宮之浦岳を目指した時に、パック・ツアーに申し込んだことはあるものの、それには添乗員もガイドもいなかったし、往復の航空券や宿の手配をツアー会社に依存したのみです。切符やホテルの予約を、自分でするかツアー会社に頼むか、それだけの違いです。山行計画についてもツアー会社が立てたのではなく、登山を含めた島内の観光等に関しては、全くの参加者任せでした。

この年令になってみればこそ、また長いこと山を歩き続けてきた身だからこそ、単独行のリスクや不安に関しては重たいものを感じます。今までずっとケータイは持たずにきましたが、山に入る時くらいはあった方がいいのかなと思うようになり、ましてやいつ山をやめればいいのか、その辺にまで考えが及ぶようになっています。

ただ、少なくとも私の場合には、自分で計画しそれに沿って行動してきて、力をつけてこられたという自負があります。年数と山行回数――つまりは登山歴――からすればベテランの域に達した感もありますが、それじゃあ成熟したかといえばそれは怪しいものです。それでも自分なりに体力・技術・コツというようなものを身につけることもできたし、初心者にある程度の蘊蓄(うんちく)を垂れることもできるようになりました。

10回の単独行よりは、例え人の後ろについていたとしても100回の経験の方がより効果的で意味があるかもしれません。後者の方が、より練習したことになるからです。

けれども、じゃあリーダーとして何人かのパートナーを引き連れた場合と、自分が他者に依存した中の一人だった場合と、充足度はどうでしょう。それはひょっとしたら同じかもしれないし、むしろ後者の方が上回っているかもしれません。

でも、私も何度となく初心者を案内したり、リーダーを任されたことがありますが、遠い将来とまではいいませんが、ある程度先を見据えていない人には(付き合い切れないな)という思いを持たされます。山歩きもしたいし、そのためには道具も揃え、山に行く気は満々です。しかし、他者への依存度ばかりが高く、地図を買うでもなく、自分で立案する気概が見えない。

つまりは、料理は習い、それを美味しく食べるけれど、自分で作ろうという姿勢や向上志向には欠けている。そういう人物に何時までも付き合わされるのは避けたいし、果たして彼がどれだけ得るものがあるのか、疑問符さえ浮かんできます。