インドにおける人材の育て方

若かりしとき、旧約聖書のモーゼの律法を読みましたが、かの有名なモーゼの逸話は、映画にもなっているせいか頭に焼き付いています。映画では、ユダヤ人と同系列のセム系からハム系の王朝へとエジプトの支配者が変わることで、同胞であったユダヤ人が奴隷となり、モーゼが出エジプトを果たす経緯が語られています。この映画の中に、ユダヤ人でありながらハム系王朝に媚びへつらうユダヤ人奴隷頭と従順に使命を果たすユダヤ人民衆が登場しますが、感情としてどう捉えるかは、個人の自由です。

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しかし、企業経営者である以上は、奴隷頭と従順な民衆との関係性を、しっかりと自己解釈しておくべきです。「ネズミを獲る猫が良い猫だ」、私の人材評価の指標はこの一言に尽きます。そして人を育成するための方法は、OJT(On the Job Training)を通して共に成功体験を共有する、この一言に尽きるのです。

民間企業である以上、売上と利益の規模により、採用できる人員数が制約されます。そして採用に制約がかかる以上、口が悪くても、態度が少々悪くても、与えられた使命を真摯にこなす人材を選ぶことになります。それが、「ネズミを捕る猫が良い猫だ」の意味なのです。

インドは職業階層で身分が決まってきた過去があり、インドの人材の多くは、いわゆるその道の専門家です。当然、理に合わないことには、噛みついてきます。しかし、理をもって噛みつく習癖も「良い猫」の証です。もし彼らの個別の理論が、全体を俯瞰した理屈に整合しなければ、論破すればいいだけのことです。ハイとしか言わない人物は奴隷頭でしかなく、結局主張する専門性がない人材なのです。噛みついてくる、つまり使命を果たす人物であれば「ネズミを捕る良い猫」だと割り切ることです。

そして指示した結果が、自分の意図に合わないときは、自己反省の材料にしてください。「どのネズミをどう捕るのか」の意思疎通に欠けていた自分が悪いと考えないと、物事は解決しません。