東京都立広尾病院事件東京地裁判決

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■Aの死亡した二月十一日は祝日であり、院長である被告人は外出していたが、午後7時頃、外出先から自宅に電話を入れると、妻から庶務課長から庶務課長の自宅に電話を入れるようにとの伝言があったことを知らされ、直ちに電話をすると庶務課長から

「Aという患者さんが、午前中、急死しました。手の関節リウマチの手術を受けた患者さんで、点滴が終わってヘパロックをした直後に具合が悪くなって、間もなく亡くなりました。薬物中毒の可能性もありますが、看護副科長が登院して調べています。詳細は、看護部長から、院長宅に連絡が行くはずです」

等の説明があった。被告人は、薬物中毒とは何事かと驚き、午後8時頃帰宅して、直ぐに看護部長の自宅に電話をすると、看護部長から、

「Aさんを担当していた看護師が、20パーセントヒビグルとヘパリン生食を間違えて準備し、その結果、ヒビグルの方がAさんの体に入った可能性があります。担当の看護師は、日勤のため既に帰ってしまったので、まだ不明な点が多いのですが、主治医のD医師の指示で、明日午前9時から病理解剖を行う予定となり、そのことについてはAさんの遺族の承諾が取れています。ただ、遺族には事故の可能性があることは伝えていません」

等の説明があった。被告人は

「これが事実とすれば大変なことで、事実関係の調査と今後の対応が必要なので、明日の朝、対策会議を開きましょう」

と看護部長に伝えた。

■翌日の二月十二日午前8時頃、D医師は、主治医として直接院長に報告すべきであると思い、都立広尾病院の院長室に赴き、

「院長の紹介を受けたAさんが、昨日急変して亡くなりました。点滴の後、胸の痛みを訴え、心電図上変化もあって、心臓疾患のような病態も見られます。薬剤を間違えたかも知れないと看護師が言っています」

旨の報告をしたが、被告人はこの報告を聞いて既に知っていると答えた。

同日午前8時30分頃から、病院2階の小会議室で、Aの死亡についての対策会議が開かれた。出席者は、被告人のほか、J副院長、Z副院長、H事務局長、看護部長、I医事課長、庶務課長、看護科長、看護副科長の9名であった。

I医事課長が司会進行役を務め、簡単に事件の概要と検討事項が記載され、「極秘」と記された「A氏の死亡について」と題する書面が配布され、簡単な経過説明があった後、看護副科長から、「A様急死の経過」と題する書面の配布もあり、その書面に基づき、事実関係の報告が行われた。

その書面には、F看護師が、抗生剤とヘパリンナトリウム生理食塩水の入った注射器を持参してAの病室に行き、まず、抗生剤の点滴を始め、その終了後に使用するヘパリンナトリウム生理食塩水入りの注射器を床頭台の上に置いた後病室を出、

その後、抗生剤の点滴終了を知らせるナースコールがあって、看護師が病室に行き、床頭台の上に置いてあったヘパリンナトリウム生理食塩水を使用してヘパロックし、病室を出たが、

その直後、F看護師がAの病室に行くと、Aは「気分が悪い。胸が熱い感じがする」と異常を訴えたので、当直医のE医師が呼ばれ、対応措置が取られたが、Aは眼球が上転し、右上下肢・顔面が茶褐色に変色して行ったこと、

この間、F看護師が注射器を準備した処置室に行ったところ、処置室の流し台の上にあるはずのない「ヘパリン生食」と書いた注射器があるのを発見し、Aの病室の前の廊下で、E医師に「もしかしたら、ヒビグルとヘパ生を間違えて床頭台に置いたかもしれない」

と打ち明けたことなどが記載されていた。