京都旅行の〆は、東寺である。日本屈指の仏像スポットの東寺を堪能すべく、数か月前から仏像本三冊を読破し、勉強を怠らなかったのだ。中間・期末試験でさえ、直前にしか勉強しなかった僕がである。立体曼荼羅で有名な講堂に勇んで入る。

二十一体の仏像が鎮座する堂内は、荘厳さに満ち満ちている。密教の教えが、仏像たちにより、交響曲となって奏でられているようだ。

ここは、密教のライブ会場。密教思想を頭で理解するのでなく、体感させるために、空海は二十一体の仏像を配置したのではないかと思えた。空海、頭良過ぎ。

「いや、お前の頭が悪過ぎ」と空海が嘆息する声が聞こえたような気がした。

静の如来・菩薩像に対して、動の四天王像。僕は、躍動感溢れる四天王像に惹かれる。特に四天王着用の甲冑がカッコイイ。もし、アマゾンで、その甲冑を売っていたら、後先考えずにクリックして買ってしまいそうな自分が心配になる。

さて、東寺の持国天は、他の増長天・広目天・多聞天に比べ表情に富んでいる。怒りのリミッターを振り切った憤怒の形相だ。口をカッと開き、大喝一声。見る者をして、身の縮む思いにさせてくれる。<em>

そういえば、年を取るにつれて、親身になって叱ってくれる人がいなくなった。大声で叱られたのは、いつの日だったか。よくよく持国天を見つめていると、僕のことを心配するあまり、大声で叱りつける親の様にも見えてきた。

自分がやらかした不義理や不始末等、あれこれ思い出し、暫しの間、反省。女房は、仏像には興味なさそうである。そんながっかりな女房から「これは何と読む如来?」との質問あり。

「阿閦如来」。

誰? 誰なんだ、この如来。仏像本には紹介されてなかった。試験範囲外からの出題で、僕は不動明王の憤怒の形相に。知識自慢をしていただけに後に引けず「あちにょらい」と適当に答える。

こっそりスマホで検索した結果、「あしゅくにょらい」が正解。女房に、間違いを正直に告げるべきか、間違いを隠し通すのか、煩悩とのせめぎあいに、悶々としながらの帰りの新幹線であった。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『サラリーマン漫遊記 センチメートル・ジャーニー』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。