帝劇に入って日も浅く、女優たちとの交際も深くはなく女優について意見を述べる資格はないがと前置きをして、帝劇の楽屋や、技芸学校の女優たちと接した経験を基に申上げたいとしている。

まず女優をオペラの舞台での歌手として考えた場合、リード歌手よりオペラ歌手の方が地位が高いとする。

承る処によればコンツェルトゼンゲルとオペラゼンゲルとは欧米では後者の方が位置が高いとのこと、これは申す迄もなく前者の方は所作なくして、たゞ歌ふのみならず、その歌ふと云ふ事も或場合には声量が聊か豊からなずとも忍び得るとしても、オペラの唱歌家は声量が充分で、所作と化粧とを要するのですから、無論オペラ唱歌家の方が難儀なものです。

また、わが国では歌手が化粧して舞台に出演するのは恥知らずのやることであって、望ましいことではないとする考えがあるし、今回新聞が女優が衝突したかのように書きたてることは一向にわからないと述べている。

そして

「自分は《胡蝶の舞》を演ずることになり、女優二十余名が舞踏し且つコーラスを歌はれましたので、此処で始めて女優の方と御交際を願ふ事」

となったが、世間では女優を虚栄の権化のようにみるが、自分のみた女優はいずれも普通の令嬢と何ら異なるところはなく、誰もが温和であるという。そして、環は自宅で女生徒を教え、幾人かの女優にも声楽を教えているが、ただただ「可愛らしく」て堪らないとし、女優に対し世間が悪口をいうと腹がたつぐらいだと言い切る。

環は一昨年までは東京音楽学校の助教授の職にあって生徒たちの音楽教授を専門にしていたので若い人たちへの接し方はよく心得ていた。

然るに一ッの問題は「可愛らしさ」と「威厳」との両立如何の件です。

但し私の申します「可愛らしさ」は女から女を見た「可愛らしさ」で、世間一般の男性の女性を観ての「可愛らしさ」とは情味が異って居りましやうが、何れにせよ女性には「可愛らしさ」は不可欠の武器で、此の武器が人をも斬り、己れをも殺すかも知れませんが、兎に角特に女優には此の「可愛らしさ」がなくてはならぬもの、それは帝劇の女優には慥かに存在してをりますと思ひます。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『新版 考証 三浦環』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。