7 紫の上の愛した桜

奈良県宇陀市佛隆寺のエドヒガン桜、千年桜とも呼ばれる

紫の上は、その容姿を桜に擬せられただけではなく、自身も、桜を殊のほか好みました。中でも最も好んだのが、他の桜が終わった後に咲く、遅咲きのヤマザクラだったのではないかと私は思っています。

当時は、今のソメイヨシノは存在しなかったので、様々なヤマザクラが、京を彩っていたことと思われます。ヤマザクラは、花の種類が非常に多く、また開花時期も様々です。

 

紫の上から「大人になったらここに住んで、この桜を楽しんでね」と言われていた孫の匂宮。紫の上が亡くなった翌年の春、咲いたその桜を見て、源氏に向かって、「何とかしてこの桜が散らないようにしたい」と言います。

(匂宮)「まろが桜は咲きにけり。いかで久しく散らさじ。木のめぐりに帳を立てて、帷(かたびら)を上げずは、風もえ吹き寄らじ」と、かしこく思ひ得たり、と思ひてのたまふ顔のいとうつくしきにも、(源氏は)うち笑まれたまひぬ。

(幻の巻)

春の景色も涙に霞む嘆きの日々を送る源氏には、紫の上が可愛がって育てていた、この匂宮だけが心の慰めでした。 紫の上が大切にしていて、匂宮に託した「まろが桜」はこの佛隆寺の桜のような樹だったのではないでしょうか。

そして、一方、紫の上の容姿に擬せられたのは、紅の若葉が照り映えるすらりと伸びたヤマザクラだったと思われます。屏風岩のヤマザクラはまさに紫の上の匂い立つような華やかな姿にぴったりだと思います。

屏風岩公苑のヤマザクラ

紫の上は、庭に様々な種類の桜を植えて、春の間中、次々に咲く桜を愛でたとあります。他の庭では桜が散り果てた後も、紫の上の庭にだけは、まだ桜が咲き誇っていたとあります。私も四月下旬まで、あちらこちらで桜を楽しみました。

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『源氏物語花筐――紫式部の歳時記を編む』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。