逆に田島は、口許を引き締め、身構えるような固い表情になった

「ええ、たしかに、オトギ噺といえばオトギ噺のような計画かもしれません。しかし、私たちが目指す国家改造は小手先の改革ではなく、坂本龍馬(さかもとりょうま)ではありませんが、『日本を今一度せんたくする』という。いわば丸洗いの洗濯です。すなわち、明治維新にも匹敵する革命といってもいい改革です。

ただちょっと違うところは、明治維新は幕府を倒すだけでほぼ達成されたといえますが、三権分立の下、政治、経済、外交、軍事、さらに警察も含めた司法等々の省庁や機関が、各々の権限を有し、互いに補完し合って支えている多元的な、いうなれば『八岐大蛇(やまたのおろち)』のような近代国家は、たんに現政権の首を取るだけでは目的が達成できるとは思えません。

国家改造を成し遂げるには、あるいは《桜会》のような大規模なクーデターによって、強力な、絶対的な軍事政権を樹立すれば可能かもしれませんが。

しかし、そんな国を二分しかねない、吉田松陰や坂本龍馬が非業の死を遂げた維新前夜のような、また西郷隆盛(さいごうたかもり)のような、偉大な人物を死に追いやった『西南戦争』のような、いえ、吉田松陰や西郷隆盛ばかりでなく、日本の将来を担う大勢の若者が、あたら命を失うような、そんな『角を矯(た)めて牛を殺す』にひとしいことは断じてすべきではありません。

それは、先ほど申しましたように 国民一人一人が自ら考え行動する、いうなれば、国民主体のフランス革命のような、挙世的な真の革命以外にはないと思っております。これは誰にも話しておりませんが、実は、その《桜会》のクーデター計画を密告したのは私ですが、それも、そうした思いからにほかなりません」

と田島は、あらためて口許を固く引き締めた。が、それもまた冗談でも聞き流したように、山内大尉は笑顔で応えた。

「そうか。誰かが密告したんじゃないかという噂は聞いてはいたが、豈図(あにはか)らんや、それがきみだったとは。意外といえば意外だが、きみらしいといえばきみらしいな。

クーデターに批判的な者は少なくなかったが、そこまでやれる者は、ほかには思い浮かばないからね。まさに『曲突徙薪(きょくとつししん)』、きみは十月事件収拾の陰の功労者というわけだ。でも、それは聞かなかったことにしておくよ……しかし、革命というのも、クーデター同様、あまり穏やかとはいえないんじゃないかな」

「ええ。おっしゃる通り、二千六百年の歴史を有する、『万世一系』の大君(おおきみ)を戴(いただ)く我が国の国体とは、根本的に相反するかもしれません。

しかし明治維新も、実質的には革命といえると思いますが、それはたんに政権奪取を目的とした革命ではなく、福翁の言葉を借りていえば、『全国の人心を根底から転覆する』という、兵力においても商売においても先進列強国に屈しない近代国家建設のための、いわば下からの改革です。

それはまた、熟慮に熟慮を重ねた戦略や練り上げた秘策にもとづいて為されたのではなく、多分に夢想的な若者たちの純粋な情熱と、弛(たゆ)まぬ実行力によって成しえた偉業であると思います。

また大隈侯爵の言葉を引き合いにだして恐縮ですが、『維新改革の原動力は薩長の手に存したるにも非ず、公卿(くぎょう)の間に出たるものにも非ず、又幕府の中に宿せしにも非ず、総て九州の端より奥羽(おうう)の辺に至る迄、天下各地の青年書生の頭脳に煥発して時勢と共に其力を養ふて、遂に我国空前の偉業を奏したりと断言す』と、述懐されています。

それもまさに『歴史の必然性』を体現した人の言葉であると同時に、その『神はサイコロを振らない』という、つまり、サイコロを振って物事を決するような、非科学的な奇跡や偶然を否定した、近代科学の理念にも合致した言葉かと思います。

ナポレオンなら、『吾が辞書に奇跡とか偶然という文字はない』とでもいうかもしれませんが、国家改造もまた、そうした確固たる理念に徹して当たらなければならないと思います。

古代中国の格言にも、『国を治むるは田を鎒(くさぎ)るが如し、苗を害するを去るのみ』とありますように、それは大隈侯の言う青年書生、すなわち旧弊に毒されていない若者にのみ為しうることであると思うのです。

もし熟慮を重ねて国家改造が成しえるものなら、犬養首相はじめ高橋蔵相や、『ライオン宰相』といわれた浜口雄幸(はまぐちおさち)元首相にしても、暴漢に撃たれ重傷を負いながらも、『男子の本懐』と嘯(うそぶ)いたといわれるほどの硬骨漢であり、老練にして学識豊かな、清廉潔白の政治家と聞いておりますので、とっくの昔に、それなりの改革が為されていてもいいはずです。

しかるに現実は、政治、経済、外交、そして、先ほどいいましたような、娘の身売りなどということが日常化している農村の疲弊等々、改革どころか、何れも悪化の一途をたどっています。

ということは、いかに頭脳を集め熟慮を重ねてみても、旧弊に縛られ、積年のしがらみが断ち切れず、財閥と結託して党利党略に明け暮れる腐敗した政党政治の下では、如何なる改革も、所詮『百年河清(かせい)を俟(ま)つ』ようなものといわざるをえないのではないでしょうか。

孫子は、『巧遅は拙速に如かず』といっていますが、もちろん『石橋を叩く』ことも忘れてはいけませんが、『一寸延びれば尋(ひろ)延びる』ともいいます。

つまり、いま何もせずに手を拱(こまね)いているというのは、不作為ということにほかならず、火事場の野次馬同様、大火事になるを助長しているにひとしいのではないでしょうか」

と、田島は山内大尉の反応を窺うように口を閉じた。

「『八岐大蛇』とは言い得て妙だが、たしかに、維新から半世紀余、今では政界ばかりか、『三宅坂』にも、海千山千の古狸がはびこってトグロを巻いているからな。

たしか『戦国策』に、『書を以て御する者は馬の情を尽くさず、古を以て今を制する者は事の変に達せず』とあるが、きみのいう通り、日本を今一度洗濯するというような偉業は、『我より古を作す』という若者の情熱と実行力なくしては成しえないだろうな。

かつては、『西南戦争』に新聞記者として新政府軍に従軍した木堂(ぼくどう)(犬養首相)も、日露戦争の戦費捻出のため、アメリカやイギリスへ文字通り東奔西走した達磨(だるま)さん(高橋是清)も、その意味では、古を以て今を制する古狸といってもいい過去の人だからな。

悲しいかな『光陰矢の如し、少年老い易く学成り難し』とでもいうことかな。

つまり、これも老子の『功成り名を遂げて身を退くは天の道なり』という訓えどおり、一時代を築いた人物といえども さらなる近代化のためには後進に道を譲ることが肝要で、またそれが、『四時(しじ)の序(じょ)』という、万物生成の原理に則った人の道であると思うが、木堂も達磨さんも歳を取って、そんなことも忘れてしまったということかな……藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)なら、『四時の序を知らざる政治家は遺恨(いこん)のことなり』とでもいうべきところだ。定家(ていか)の父で、『千載(せんざい)和歌集』の撰者のね。アいやいや、これはちょっとヒケラカシてしまったかな。

在原業平(ありわらのなりひら)ではないが、『我とひとしき人し無ければ』で、思ったことをなんでも話せる『水魚の交わり』といえるような友というのは稀で、きみ以外には、そんなヒケラカシと思われるような軽口をたたける相手は、帝国陸軍といえども、そう多くはいないからね。

そのかわり、今の若いエリート参謀のなかには、四時の序という言葉は知らなくても、エモーショナルとかクリティカルなどという難しい片仮名語をやたらに連発しているような軽薄な連中も少なくないからな……まあ、そういう私も、エリートではないが、まったく口にしないといえるほどパーフェクトな人間ではないから、他人(ひと)のことはいえないがね」

と、山内大尉は軽口を楽しんでいるように笑った。

「いえ。私も、大尉殿のお話相手ができるほどの勉強家ではありません……ですが、木堂も達磨さんも『源氏物語』はともかく、お二人とも漢詩を詠まれるぐらいですから、老子や荘子を知らぬはずはないでしょうが、古今東西、偉人とか英雄といわれるような一時代を築いた人物も、おっしゃる通り大半は歳を取ると、また権力の座に上ると、そうした訓えを、きれいさっぱり忘れてしまうようです。

平清盛(たいらのきよもり)や豊臣秀吉(とよとみひでよし)もまた然りで、『驕(おご)る平家は久しからず』というまでもなく、権力の座に固執することは、国を滅ぼす元凶の一つであることは歴史が証明しています。

さらに、これもおっしゃる通り、『光陰矢の如し』とも『歳月人を待たず』ともいいますし、ここが『切所(せっしょ)』と決断した次第です……。とはいえ、この度の計画は、ご指摘通り、第二の生麦事件やサラエボ事件の二の舞になりかねないことも確かです。

しかし薩摩(さつま)藩は、近代装備をしたイギリス艦隊に大敗したうえに、莫大な賠償金まで支払うことになりましたが、それによって、近代化しなければならないことを身をもって学び、以来兵力の近代化に邁進しました。もしその『薩英戦争』がなければ、明治維新は十年遅れていただろうといわれていますように、それはそれで、薩摩藩のみならず、日本の近代化を飛躍的に促進させた大きな要因の一つになりました。

史記にも『善く事を制する者は禍(わざわい)を転じて福と為し 敗に因りて功と為す』とありますが、怪我の巧妙というか、薩摩藩の敗北は、図らずもその訓えを実践し、書物では学ぶことができない実学となり、今日に至り、曲がりなりにも、といっては叱られるかもしれませんが、実情はともあれ、先進列強国と肩を並べるまでに開花し、実を結んだのではないかと思います……ですが私は」

と田島は、そこで不意に口を閉じ、ひと呼吸おいて、静かにつづけた。

「その『生麦事件』ではなく、『大津事件』を再現することに主眼をおいております」

「大津事件?」

と、山内大尉の声が、また裏返った。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『泣いてチャップリン』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。